赤塚高仁ブログ「これでいいのだ!」

先縁尊重

2012年06月20日

 素晴らしい建築の仲間に恵まれたという話を、月曜日のブログに書きました。

その出会いには、紹介者があります。

本当に伝えたかったのは、紹介者である南勢設計の伊東俊一さんなのです。

伊東さんとは、ずいぶん前から伊勢で顔を合わせていました。

伊東さんは、ワシと同じ歳で、ワシに劣るとも勝らない能書きおやぢであります。

故・小林正観さんの親友でもあり、伊勢で正観さんの講演会の主催者でした。

伊東さんは、いつ会っても笑顔です。

いつも機嫌がいいというのは、最幸の人格でしょうか。

その笑顔を思い出して、去年、思い切って電話をして、仕事をお願いしてみました。

ボランティアのおじさんのような伊東さんが、設計事務所をしていることは知っていましたから、

もしかしたら、助けてもらえるかもしれない・・・と、思ったからです。

 出会って、何年もして、はじめてお互いに仕事の話をしました。

伊東さんも、ワシが、建築の仕事をしていること、知ってはいたけど、怪しい宗教家のように思ってたそうです。

聞いてワシは、驚いた。 三重県で二番目に一級建築士の多い建築設計事務所だったのですね。

 

 さて、ワシが、ある人に出会う、善い出会いが生まれるには、誰かの縁がなければなりません。

このたびの、素晴らしい協力会社との出会いは、伊東俊一さんがいなければあり得ません。

だから、その協力業者さんと会うたびに伊東さんのことを思い出します。

こんなふうに、協力業者さんが必要になるくらい、善きお客様、お仕事に恵まれるのは澤田さんのおかげです。

一年前初めて住環境想造研究会に入会して、澤田さんとお出逢いをいただきましたが、一年後の今日いま、

こんな風に変えられているとは、思いもよらないことでした。

その御縁を与えてくださったのが、伊豆山建設の伊豆山社長です。

生体エネルギーは、絶対に赤塚さんに必要だし、これは、ものすごくプラスになると推薦してくれて、なかば強引に

伊豆山さんのところに連れて行ってくれたのが、名古屋のたぬきおやぢでしたね

 

 ひとつ前の縁を大切にすること。

それは、人として豊かに生かされるための大きな道のように思えます。

先縁尊重。

忘れず、大事にしたいですね。

白隠禅師の「ほう、そうか?」

2012年06月19日

 白隠禅師の逸話を聞いたことを思い出しました。

どうして、この話を思い出したのでしょうね?

なんだか、人の噂話がちょっとだけ気になる日もあるのです。

心も波が立つものです、人は存在自体が波動そのものですから。

 

 白隠禅師は、人々の尊敬を集めていて、大勢の人が彼の話を聞きに集まってきていました。

あるとき、寺の隣の十代の娘が妊娠しました。

怒り狂った両親に、子供の父は誰だと問い詰められた娘は、とうとう相手は白隠禅師だと答えたのでした。

両親は、激怒して白隠のもとに怒鳴りこみ、娘が白状した、お前が父親だそうだな、となじったのです。

白隠は、「ほう、そうか?」と答えただけでした。

 噂は町じゅうどころか、近隣に広がってゆきました。

禅師の評判は、地に堕ちました。

だけど、白隠禅師は意に介すことはありませんでした。

誰も説法を聞きに来なくなりましたが、禅師は落ち着き払っていました。

赤ん坊が生まれると、娘の両親は赤ん坊を禅師のもとに連れてきて、

「お前が父親だから、お前が面倒をみるがいい」と。

禅師は、赤ん坊を慈しみ、世話をしました。

一年経って、慙愧に堪えられなくなった娘は、両親に言いました。

実は、赤ん坊の父親は、近所で働く若者だと。

両親は、あわてて白隠禅師のもとへ駆けつけ、申しわけありませんでしたと詫びました。

「本当にすまないことをしました。赤ん坊は、引き取らせてもらいます。

 娘が、父親はあなたではないと白状しましたので。」

「ほう、そうか?」

禅師は、そう言って赤ん坊を返しました。

 

  良くも悪くも、いまという瞬間をそのまま認めて、人間ドラマに参加しないこと。

起きる出来事を、個人的なものにしない。 誰の被害者にもならない。

起こった出来事に抵抗しようとすると、その出来事に翻弄されてしまうし、幸福か不幸かをよそから決められることになります。

 

 エゴは、一瞬にして反応し、ワシを乗っ取ります。

ちょっと離れて、あるがままをみる。

 今日一日、気をつけていたいものです。

 

幸せな始まり

2012年06月18日

  新しい一週間が始まります。

社員さんたちが、集まってくれます。

この人たちを幸せにしなければならない、しみじみそう思います。

 

 昨日は、仕事を手伝ってもらえる会社、二社とお話をさせていただきました。

一社目は、4代目の若社長、36歳で一級建築士。

誠実に丁寧に生きておられる姿勢に頭が下がります。

「神様が宿る家」の話を目を輝かせて聴いてくださいました。

ああ、この人ならお任せしても良い仕事をしてくださるに違いない。

嬉しい出会いです。

 

二社目は、一代で20億以上を売り上げる工務店。

専属の棟梁・大工が13人もいる素晴らしい会社で、大きな経常利益を上げ続けておられます。

建築の最高責任者である、専務とじっくり語り合いました。

建築の超ベテランで、年間600件の見積をされているそうです。

自然素材の住宅のことも滅茶苦茶詳しくて、御自分の家もドイツの住宅を研究して建てられたそうです。

こんな会社が、ワシんとこのような小さな会社の仕事を手伝ってくれるのだろうか?

そう思い、ちょっと怯む気持ちも芽生えたけれど、ワシは、いつしか澤田さんから学んできたこと、熱く熱く語っていました。

専務の家で、使った珪藻土には、スペイン漆喰のような自分で固まろうとする能力がないから、接着剤が必要だということ、その、接着剤は有害物質を含み、接着力が弱まると空気中に珪藻土の粒子が空気中に漂います。

しかも、その粒子は、アスベストに酷似しているため、発がん性の恐れから、ドイツでは危険な物質に数えられているということ。

「すごくよく勉強されてますね。」専務が驚かれましたが、ワシら、澤田イズムの洗礼を受けたものは、ここからが勝負です。

「日本の住宅を変えたいんです。世界中のどの国も、住宅は文化なのです。

日本だけが、産業となって、作る側の都合だけで建てられています。

世界で、もっとも歴史のあるこの日本の住宅が、シナの人民服のようなものばかりじゃたまりません。

神様が宿る家こそ、日本の住宅を変える、真の救い主です。」

 腕組みしながら聴いていた専務は、おもむろに口を開き

「赤塚さん、よくわかりました。手伝いをさせてください。

赤塚さんは、どんどん広め伝え、そして売ってください。いくらでもお手伝いさせてもらいます。」

 

 建築一筋で生きてこられた専務は、毎朝6時には会社に行き、早くても帰るのは8時。

休むのは、正月の三が日だけ、土日もないそうです。

恐怖の道草男のワシの話を、面白そうに聞いてくれました。

ロケットの話し、イスラエルの話し、糸川英夫博士の逆転の発想・・・

別れ際に、専務が

「来年、僕をイスラエルに連れて行ってくれませんか?

 世界をもっと広めたいと思うのです。」って

 

 よーっし!!イスラエルに行って、いろんな人にカルチャーショックを受けてもらうためにも顔晴るぞ!!

 

Oさまからのお便り

2012年06月17日

私たちが赤塚建設さんと出会うきっかけは「生体エネルギー」を使った家が可能だったからです。

今思えば、2年前から動き始めた「家づくり」

にも関わらず建てるまでに至らなかったのは赤塚建設さんに出会うためではなかったのかと思っています。

 

初めて連絡した時、初めてお会いした時、

何かとても不思議なエネルギーがある社長さんだと思いました。

 

ただ初めは予算とプランの希望をお伝えしても、なかなか納得出来るものが

上がってこなかった事もありました。

契約寸前には私たちが絶対に使って欲しくなかった木材が見積りに記載されていた事もありました。

ですがそれらすべての非を認め、私たちが納得出来るものに変えていただけたのです。

 

それでも契約の段階には私たちは慎重になりすぎ、「あと一歩」が出ない時、

”勇気を持って一歩前に踏み出してください”とのお言葉をいただき背中を押してもらった事もありました。

 

精一杯の見積、納得のデザイン・・・

色々な「決め手」はありましたが私たちの最後の決め手は、やっぱり社長さんでした。

不思議と言うか、ちょーっと変わってるけど、社長の家にかける思い、そして

社長ががんばってくれている、その社長にかけてみよう!

と夫婦お互いの意見が合いお願いすることにしました。

 

契約後も私たちの家がもっと良くなるよう、本気の家づくりをしていただいています。

とてもありがたくすばらしい事です。

私たちファミリーの笑顔と健康を願って家づくりをされています。

それは社長さんだけではなく、赤塚建設の社員さん、職人さんすべてそう思われて

家づくりされている、と建築中の家を訪れるたびに実感しています。

私たちのどんな小さな要望でも最善の結果になる様、真剣に考えていただいています。

私たちの家に関わっていただいた方、みなさんに本当に感謝しています。

 

0宣言の家、一ミリもウソのない家、生体エネルギー、こんなすばらしい家はないと私たちは思っています。

日々進化している赤塚建設さんで建てていただけて幸せだと思っています。

 

まだ出会っていない、けど、出会うべき家族に「この熱い思い」が届いたならば、

いつでも私どもの家に足を運んでみてください。

驚きと感動があるはずです。

そして笑顔と健康になれる「神様が宿る家」に是非住んでみてください。

 

最後に私たちの願いは・・・

毎日日本中のどこかで新しく建てられる家、

その家が1軒でも多く「神様が宿る家」にならないかと、自分たちの家を建てて強く思うようになりました。

 

 

こころのムダ遣いをしない。

2012年06月16日

 ワシの机の横に、日めくりカレンダーがあります。

親しくしていただいている、鍵山秀三郎さんの「凡事徹底」

これまた大好きだったワシの魂の姉さん、若くして天に帰った、たにぐち香葉さんの書です。

「お金のムダ遣い、物のムダ遣い、時間のムダ遣い。

様々ムダ遣いがあります。そのムダ遣いのなかでも、

こころのムダ遣いがもっとも大きなムダだと思います。」

と、書かれています。

 

 鍵山さんは、トイレ掃除の神様として有名ですね。

自動車部品の販売をする、イエローハットの創業者です。

ワシが、30歳のころ、はがき祭でお出会いをいただきました。

数え切れないほどのはがきのやり取りを通して、多くのことを学ばせていただいてます。

20年前に鍵山さんをイスラエルにお連れしました。

デトロイトのモーターショウで、一週間海外出張したのが会社を離れた最長記録(鍵山さんは、元旦も昼から会社で掃除しておられましたから)だという鍵山さんを、2週間のイスラエル視察にお誘いするのに2年間口説き続けました。

もう、これ以上断りきれませんね、と鍵山さんは、イスラエルツアーに参加してくださいました。

バスの中での自己紹介で、「自動車の部品屋をやっております。鍵山と申します。

みなさんは、イスラエルまで飛行機で来られたでしょうが、私は、アカツカさんの口車に乗ってきました。」

とにかく、話も洒落てて素敵な方です。

1千億の企業を創られた方なのに、まったく偉ぶらず、質素な姿にいつも頭が下がります。

それでいて、譲れぬところは譲らない、ならぬことはなりません、という大和魂のカタマリのようなお方なのです。

 

仕事を離れ、文化も民族も違うイスラエルの旅は、鍵山さんにとっても印象深いものとなったようです。

その後、鍵山さんとは、シリア、ヨルダン、レバノン、10年前、一年に二度も中東を旅しました。

敦煌、シルクロードも御一緒しましたね。

今思えば、奇蹟のような旅でしたし、その思い出は、ワシの人格のひとつのパーツになっているようにも思えます。

 

 あるパーティに招待してもらって、鍵山さんがワシを皆さんに紹介してくださったときのスピーチ。

「わたしくは、凡事徹底ですが、アカツカさんは、万事手抜かりで、

大体、わたくしと出会ったほとんどの人が、数年もすると変わってゆかれるのですが、

アカツカさんは、わたくしと出会う前から、変わってました。」って

   いや~ 鍵山さん、あんまり褒めないで

 

申しわけありません

2012年06月15日

 澤田先生のブログに書かれました。

 

  本当に、なにもしていません。

 

なんとなく、しらけてました。そんなに関係ないって。

 

澤田さんには、いつもきついこと言われます、聞きたくないと思うこともあります。

 

でも、つまらないエゴやプライドがそうさせているだけで、そんなもの捨てたほうがいい。

 

赤十字や、いろんなとこに寄付したけど、すべてワシの自己満足のためだと思います。

 

平塚社長の取り組みに比べて、まったく人間としてできていませんし、情けないことです。

 

力がなければ、実際に役にもたてません。

 

金ぐらい儲けてくださいよ、と、澤田さんに言われますが、当たり前のことです。

 

今日は、自分のショボさに落ち込んでます。

 

 歳とって、それなりの立場になると誰も言ってくれませんよね。

 

言われるうちが花でしょう。 

 

かっこ悪くても、具体的に今日変わってゆきます。

 

  こんな日もあります。 感謝

 

 

 

 

 

  

特異点が出発点

2012年06月14日

 新しい時代は、過去の延長線上にありませんよ。

今までの経験や実績など何の役にも立たない時代が始まってます。

その点を、「特異点」と呼ぶのです。

そこから、新しい時代の光が生まれてくるのです。

・・・21世紀を目前にして、天に帰って行かれたわが師糸川英夫博士が、繰り返し言っておられた言葉が蘇ります。

 

 女川から5時間ほど車飛ばして、たどり着いた新潟県村上市。

そこにすごい会社があります。

株式会社 開成さん、澤田さんのブログで絶賛されています。

見学させていただきました。

ちょうど、温泉街の残飯、生ゴミが運び込まれているところでした。

これまで、長距離をトラック輸送して焼却炉で処分していた廃棄物を、メタン醗酵プラントに入れて、電気や熱に換えてエネルギーとして取り出すのです。

下水、汚水、し尿もエネルギーに変わる。

再生エネルギーによる循環型社会のモデルが、そこにありました。

バイオガスで作った電気、温熱が、温室の中に導かれ、なんと日本海に面する新潟、雪の中で南国フルーツを育てていました。

しかも、雪の中の逆境を乗り越えたパッションフルーツは、驚くほど味がよく、銀座千疋屋さんに超高値で引き取られています。 本物の証拠ですね。

また、遠山社長は、「生体エネルギー」技術を取り入れておられます。

プラントの機械は、ドイツ製だとのことですが、「生体エネルギー」技術が投入されることで、なんと!機械の能力の三倍の成果が上げられているといいます。

この結果には、驚愕させられます。 

「生体エネルギー」はいずれ、論文として世に出されることでしょう。、誰も言葉で説明できません。 学べば学ぶほどわからなくなります。

でも、事実として驚くべき結果が出ている以上、信じて使わせていただきます。

誰も、風を見た人はいないけど、葉っぱが揺れると風を知るように、ワシに生体エネルギーの理屈がわからなくても、風を感じるようにして、エネルギーを伝える者となりたいのです。

 

  前例のないバイオマス事業、投資が嵩張り、先も見えず、ここでやめようかと思うときもあったと、遠山社長は言われました。

でも、経営理念が、自分たちをここまで導いてくれたと仰います。

 

・ 私たちは未来を担う子供たちに、夢と希望を与え住みよい環境創りと健康的な食生活に貢献します。

 

・ 私たちは会社を繁栄させ地域社会の発展と社員の幸せに貢献します。

 

・私たちは可能性に挑戦し多くの方と喜びを共有します。

 

 遠山社長のエネルギーと、澤田さんのエネルギーが共振しています。

世の中を良くしたい! その共通の想いが二人を引き合わせたのでしょうか。

「エネルギー」 まさに新しい時代の、重要なキーワードと思えます。

前例がないからやってみようとチャレンジしてゆく勇士、遠山忠宏社長とスタイル抜群の美人妻、きしこさま。

価値を見出し、それを広める天才伝道師、澤田升男さん

 薩長同盟のようなこのコラボから、目が離せません。

 

男一匹、心意気

2012年06月13日

 「お兄さん、また来てくれたの!三ヶ月ぶりね」

女川町の仮設住宅での炊き出しに参加さてもらって、声をかけてもらいました。

地元で最高級の食材を仕入れ、焼肉、焼き鳥、寿司、焼そば、たこ焼き、かき氷、そして飲み物たっぷり。

老若男女、くつろぎ、楽しそうに過ごしてくださいます。

カラオケの機械も準備され、途切れることなく歌が続きます。

 

 朝の4時に埼玉からトラックで資材を積んで、設営、仕込み、炊き出し終えて撤収し、埼玉に戻ると明け方になる。

それが、平塚宏一社長率いるトラストホーム軍団です。

驚くべきことに、今でこそ月に一度(あり得ないデ)ですが、被災直後は、平塚さん、毎週通ってた。

誰にも言わず、できることを黙々と、具体的に動いて、車を届けたり、炊き出ししたりしてた。

しばらくして、そのことが澤田リーダーの知るところとなり、グループが動き始めたのです。

「決して売名行為にしない」

澤田さんのポリシーの下、復興支援が続けられてきました。

 

 昨日は、ログハウスの職員宿舎を寄贈する竣工式でした。

女川町は、町がなくなってしまいました。

瓦礫が片付けられ、建物の基礎だけが取り残された何もない世界です。

復興、再生、そして、新生のためにどれだけの時間が必要なのか見当もつきません。

そんな中で、全国各地から役場の手伝いにきてくれる職員さんたちが滞在する施設として、建てられたログハウスなのです。

夜遅くまで、激務で疲れた心身を癒す、木が香るエネルギーの高い住空間をとの願いが込められています。

竣工式の最後に挨拶を求められた、我らのリーダーは、ちょっとだけ照れ臭そうにこう話されました。

「まだまだ、来る途中の景色に、これからの道のりを思うと胸が痛くなります。

自分が動けない時、平塚社長が動いてくれることが本当にうれしかったし、自分は、年間100回のセミナーでの呼びかけや、本の売り上げを届けさせてもらいながら、大勢の人たちの支援の声をも届けさせてもらえたように思えます。

時が経つと、自分の地元でも、被災地のことを忘れてしまっています。

でも、私は、人としてこれからも支援し続けてゆきます。

このログハウスは、小さな建物かもしれませんが、この建物によって、全国に支援している仲間がいることを知ってください。

そして、一日も早い復興を願います。

なにより、まず心が豊かになって欲しいなって思います。」

四分のスピーチでした。

女川町長泣いていました。

ワシも、胸がいっぱいになりました。

 

  今、東北は、ハウスメーカーが受注合戦でシノギを削っています。

復興特需という言葉まで生まれています。

しかし、ここでも、澤田ファミリー平塚社長も、澤田リーダーも、目的はお金じゃありません。一ミリもブレません。

平塚社長は、被災地での建築では、原価で受けると断言します。

 

 女川から、新潟県村上に移動しました。

太平洋から日本海への道中、平塚社長の心意気と、支援し続けている行為に、ただただ頭がさがりました。

 

よき仲間こそ人生の宝ですね。

本気で願え!

2012年06月12日

 夜明けの仙台のホテルでこのブログを書いています。

澤田ファミリーが集合しました。

全国各地で、0宣言を実践する、一ミリのウソのない本物の健康住宅を生み出す仲間たちです。

もう少ししたら、女川町に移動します。

仲間で出資し合い、澤田さんの講演会で募金を募り、また、澤田さんの本の売り上げすべてを寄付してもらい、ログハウスを作り上げたのです。

女川町職員宿舎です。

7割の建物が、失われてしまった町のために、少しでも心安らぐ住空間をとの願いを込めて造られたログハウスです。

その竣工式、引き渡しのためです。

時が経つにつれ、記憶は薄らいでゆきます。

そんな中で、支援し続けている、平塚社長はじめ、具体的に動く澤田ファミリーのハートの熱さに胸がいっぱいになるのです。

 

 「世の中をよくするため、正しい経営をしようよ。

 いい会社になって、世の中のためになろうよ。

 あきらめないで、レベルをあげようよ。

 自分がどうなりたいとか

 自分が儲けたいとか、金儲けが目的じゃなく

 神様が宿る家を広めたい。

 今が苦しくても、必ず結果がついてくるから。

 みんなが良くなって欲しいんだ。

 想いを強めよ、口でどんな事言ったって、想ったコトがカタチになっちゃうんだ。

 本気で願え!

 自分に厳しくならないと、住宅革命はできない。」

 

住宅産業の世界では、数えきれないほどのセミナーが開催されています。

DMが毎日、ワシのとこにも送られてきます。

ほぼ全部が、いかにしたら金儲けができるか、というノウハウです。

もちろん悪いことじゃないし、ワシもずいぶんお金と時間をかけました。

仲間の一人は、8000万もつぎ込んだと言います。

成功したいのです、誰もが。

 

  いま、ワシらが学ぶ澤田塾は、成功するためのヒントを教えてもらっているのではありません。

成功そのものを伝えてもらっているのです。

実に単純明快、成功するしかない宝の地図をもらいました。

しかも、教える師匠は、一円も取りません。

こんなコトがあるのでしょうか。

こんな人がいるでしょうか。

「みんなが良くなりゃイイじゃん」って、笑いながら

 酒のんで、飲んで、酔っ払うとみんなのこと蹴りまくるリーダーです。

 

 さて、今日も動き出すとしますか。

 強く、本気で願う。

 そして、歩き出す。

 いくら地図を開いても、目的地には近づかないからです。

 

 

心の中にいる「子ども」

2012年06月11日

 ワシは、子供の頃から道草ばかり食ってました。

通学路にあった、三重大学の弓道場。

小学校低学年、小さいワシは、大きなランドセルを背負って、冬の寒い日、雪の中でずッと弓道を見ていました。

気がつくと通学班のみんな誰もいなくて、ランドセルと帽子には雪が積もってました。

 草むらで草を食べる散歩途中の犬は、消化を良くするためだと飼い主が言っているのを聞いて、道端の草を食べながら通学してました。

同じ通学班の子が、家で、道草食べてる子がいると言ったら、犬のオシッコがかかってるから汚いって、教えてあげなさいと、言われたそうで…  ま、その子が、今、ワシの奥さんで、お母さんも、まさか道草男がムコになるとは思ってもみなかったでしょうが。

 ワシ、ヤッパリ草食系男子なんやろか、  え、誰がヤギやねん!

 

  心の中に、「潰し屋」と一緒に、「子ども」が住んでます。

「子ども」の影は、瞬時に頭を乗っ取ります。

もお、イヤだ!  

思い通りにならない

めんどうくせぇ!

もうこんなとこいたくないよ~

ズルしちゃえ

スネる、甘える、ダダをこねる

 

そして、  もお、やぁーーーめた

 

この影には抵抗できません。

影は、エゴを餌として、どんどん大きく思考を乗っ取ります。

その間、エネルギーはじゃじゃ漏れ。

思考で、止めようとしても、思考そのものが自我から生まれてますから、勝てる相手じゃありません。

 

唯一の道、それは、気づくこと。

いま、自分の中の子どもの影がやってきていると、気づくこと。

何故なら、常に影は、無意識のうちに立ち昇って来るからです。

気づき、意識した途端、光が当たり、闇は存在できなくなる。

闇は、光に決して勝つことはありません。

 

 「子どもの影」をよく観る。自分の闇に降りてみる。

もうイイです、ポイっと投げ出してしまうのは、自分の事だけしか考えていないとき。

「子どもの影」は、誰か他の人のために何かをするのが大嫌い。

でも、闇に降りて、光に出るとき、子どもの闇は光に変わり、大いなる好奇心、飽くなき探究心が湧き上がってくる、エネルギーが立ち上がってくる。

そして、手のひらを、もらうためより、あげるために使いはじめる。

 

今日は、東京澤田塾です。

自分の事を考えず、「みんなよくなりゃイイじゃん」と、惜しみなく命を人のために使っておられる澤田さん。

仲間の心の闇にまで、光が射し始めているようです。