赤塚高仁ブログ「これでいいのだ!」

伝えずにはいられない

2012年07月09日

 好きにならずにいられない

 

 愛さずにはいられない

 

 そして、伝えずにはいられない。

 

小さい頃から自分で何かを作ることよりも、誰かのことや、面白いことを伝えるのが好きでした。

小学校の5年の時、家にあったプロレスのチケット4枚ポケットに詰め込んで、学校に行きました。

四日市である日本プロレスの試合(その当時は、馬場さんと猪木さんは同じ団体で戦ってました)に連れて行ってもらうのをメチャクチャ楽しみにしていたのですが、家庭教師の都合でその日に勉強しなければならないことになり、プロレス行きは中止となったのです。

しかし、家庭教師ごときに猪木さんの試合を見るチャンスを奪われてはたまりません。

いったん約束をしていながら、大事なプロレスに行かないなんて許せない、と父を恨みながら・・・

四日市は当時のワシにとって、イスラエルよりも遠い世界でありました。

電車に乗るお金もありませんので、お金を持ってそうな友達3人にプロレスのチケットを売りました。

いかに猪木の卍固めがすごいか、その年に入団した柔道界のホープ若鷲、坂口征二のことや、謎の囚人ザ・コンビクト、そして猪木のライバル、ドンレオ・ジョナサンの空中殺法の華麗さを伝えました。

三人はチケットを買いました。

チケットを買った3人と、電車代を手に入れたワシは、電車に乗って四日市へ。

ランドセルを背負った10歳の子供だったのですね、ワシらは、今思えば。

パンフレットを買って、選手にサインしてもらい、夢のような時間を過ごしました。

でも、夢は終わりました。

メインイベントの猪木とドンレオ・ジョナサンの試合が、お約束通り卍固めでギブアップで終了すると、リングの電気が消えて現実に戻されました。

それから、ワシらは家に帰ることもできず、津の駅に遅く着いて、歩いて一軒の空き家に入りました。

まだ寒い、春も初めのことでした。

部屋の隅に積んであった、布団の上でネコが死んでいたのを覚えています。

 

 このスタンド・バイ・ミーのような少年たちは、翌朝学校に出かけて行き、校門で待ち構えていた親たちに家に連れて帰られ、それぞれぶん殴られることになるのですが・・・

 

 あれ、なんの話しやった・・・?

そうそう、好きにならずにいられない、伝えずにはいられないってこと。

どうぞ、立派な建築の優秀な先生のお話はこちらでお読みください。

ワシなんて足元にも及ばない、すごい建築会社の社長がこんなにも燃えています。

毎日ブログ書いておられます。素晴らしいですね、澤田ファミリー

みんな暑苦しい肉食体育会系。

でもね、ワシのような草食系、文系の能書きじじいでも、伝えたいという血が騒ぐと、好きになってもらわなくちゃたまらない!そんな気分でいっぱいになるのですよ。

「神様が宿る家」

好きにならずにいられない、愛さずにはいられない、伝えずにはいられない。

今日もわくわくしながら伝道します!