父の魂
2012年07月20日
岐阜県は関市にいます。
北海道から鹿児島まで、全国から仲間が集まりました。
突然、天に帰ることを選んだ澤田さんのお父さんを見送るためです。
ワシは、澤田さんのお父さんにお会いしたことはありません。
今回初めてお目にかかったのですが、もう、言葉をかけてはいただけません。
安らかなお顔で眠っておられましたから。
しかし、澤田さんは、酔うと必ずお父さんの話をしてくれます。
だから、ずっと前からお父さんのこと、知っていたような気がしてなりません。
「自分は、10ヶ月しか勤めた経験がない。でも、あらゆること、一切は親父から教えられた」
「無茶苦茶な親父だった、ちっちゃいときは親父が怖くて恐くて。」
壮絶なエピソードを聞くワシらは、いつもドキドキです。
凄腕の大工の棟梁だったお父さんは、一貫して仕事でウソをつくなと教え、実践されました。
お父さんの生涯で、数々の作品を残されましたが、最高の作品が、ワシらのリーダー澤田升男という存在でしょうか。
澤田さんに育ててもらっているわしらも、お父さんの作品と言えるのかも知れません。
「すまん。もうすぐ歩けなくなる。美智子の体が、俺の看病してたらもたない。今までさんんざん苦労かけてきたからこれ以上はかけれない。今までありがとう。世話になった。」
自分が辛いから、苦しいからではなく、もうすぐ歩けなくなる自分がいると奥さんに苦労をかけないように、逝く。
それから遺書には、澤田さんに親孝行ありがとうとあり、地図が書いてあったそうです。
皆が探さなくていいように、寸分の狂いもなく、天に帰る場所が。
安らかな顔で、眠っているようだったと聞きました。
通夜の席上で、澤田さんは、そんなお父さんを誇りに思うと絞り出すように叫ばれました。
きっと、歩けなくなっても生きていて欲しかった、もっと仕事を見守って欲しかったに違いないのに。
澤田さんが、どれほど強く、深くお父さんを愛しておられたか、ワシが言葉にすることはできません。
しかし、参列した澤田ファミリーの胸に澤田さんのお父さんの魂が宿ったことは間違いないと思うのです。
一ミリのウソのない家づくり、日本の住宅革命、澤田さんが推奨するホンモノの健康住宅、全国に燎原の火の如く広がってゆけと願わずにいられません。
これから告別式です。
天高くワシらの父の魂が、光の世界に上がってゆきますように、魂のどん底から祈ります。