必要・必然そして最善
2012年07月23日
怒涛の週末でした。
岐阜~長野~三重~和歌山~三日間で1100キロ走りました、ワシのボルボ。
三日間で数時間眠ったでしょうか。
それぞれの出来事が、深く大きく、何年分もの体験をしたような氣がします。
なつかしい人たちとの再会。
今を生きる仲間との魂の磨きあい。
そして、新しい出会い。
起きることの全ては、必要だから起きるのだと言われます。
それは、必然なんだと言う人がいます。
人ごとの時は、そう言えるかも知れません。
でも、受け入れがたいことが現実になった時、本当にそう思えるでしょうか。
目の前で、大切な人が死んでしまうようなことがあったとして、
「必要・必然なのさ」なんて言われたら、ワシ、その人許せないし、友達に持ちたくない。
寄り添い、ただ黙って一緒に涙を流せる者でありたいです、ワシは。
広島からお医者様のNさまファミリーが、御来社くださいました。
澤田さんの本を読んで、両親の家はこの「本物の健康住宅」しかないと、御両親に電話してくださったお方です。
御両親は、千葉に住んでおられる、以前ブログに書かせていただいた93歳の元気なご主人様。
産まれ故郷の三重の津に、終の棲家を持ちたいと、千葉から車を飛ばしてやってきてくださったのでした。
Nさま、広島に帰る前のわずかな時間を使って、会社に来てくださったのです。
「赤塚社長に会いに来ました。」
お父さん(今度の家に住まれる)から、子供の頃、よく糸川英夫博士の話を聞かされていたそうです。
60歳からバレエを始めて、新聞紙の上に足を置き、毎日毎日一枚ずつ重ねて足を上げていき、
ついには帝国劇場の舞台に出るまでになったというエピソードを知っておられました。
ワシのブログを読んでくださっていたのです。
だから、初めてお会いするのに初めてじゃない、そんな感じでしょうか。
わずか30分のお出会いでしたが、「どうぞ、これから両親のためによろしくお願いします」と頭を下げられるNさまに胸が熱くなりました。
53歳、若干の肉体疲労のワシでしたが、全て吹き飛ばす最幸のお出会いをいただけました。
感謝です。
いいときばかりでなく、すべてが必要、必然、そして一切が最善と受け止められる
そんな自分に変えられたいと祈ります。