赤塚高仁ブログ「これでいいのだ!」

日本建国の理念

2012年08月12日

  夏休みも半分くらい過ぎたのでしょうか。

宿題は、進んでいますか。

こんな休みの時に、自分の国のことを研究できたらいいでしょうね。

お盆休みの大人たちも、ちよっと立ち止まって自分の国のこと考えてみたいものです。

 

  フランスは、「自由・平等・博愛」

アメリカは、独立宣言で、「権利・自由・民主主義」

我が国、日本は?

「国民主権・基本的人権・平和主義」

これは、戦後の憲法でうちたてられたもので、それまでの日本は、封建的で、理念もない、遅れた国だったのだ!  と、戦後教育によってほとんどの日本人が洗脳されてしまっています。

本当に、日本は欧米諸国に比べて劣った国なのでしょうか?

 

  日本は、世界で最も古い歴史を持つ文化国家です。

2672年前の2月11日、初代神武天皇は奈良の橿原宮で建国を宣言されました。

その建国の理念とは、「八紘一宇」(はっこういちう)

それは、世界の人々は、一つ屋根の下に暮らす家族なのだという思想なのです。

国民をおおみたからと呼んで、一人一人の幸せを願い、有徳国家の建設と、一つ屋根の下に住む家族のような暖かい世界づくりを建国の理念とされたのです。

つまり日本は「人道主義・道義国家・平和主義」を国づくりの心としてきたのです。

その理念があるからこそ、125代、2672年に渡る万世一系の天皇が今も続いている、世界で最も古い君主主義国家として存在しているのではないでしょうか。

経営に理念があるように、国家の理念がこの国を支えてきたこと、今一度思い出したいものです。

そして国を愛する心を取り戻し、誇り高き日本人としての道を歩きたいですね。

 

   夏休みの自由研究に、祖国の建国について子供と一緒に学んでみてはいかがでしょうか。

美しい神話につながる日本の姿は、きっと心を浄化し、善く生きる力になるにちがいありません。

石巻からの手紙

2012年08月11日

 急な手紙で大変、失礼いたします。

ご多忙の中、こんな手紙を開いて、読んでいただき喜びを感じると共に感謝します。

 

 僕は宮城県石巻市に住む29歳のM・Mと申します。

震災前は石巻でお店をしていました。

津波により失ってしまいましたが、また開業するための資金作りのため、鳶をしています。

 

 今回、お手紙を書こうと思ったのは、どうしても赤塚さんにお礼を伝えたくて慣れないことではありますが、ペンをとらせていただきました。

 

震災があり、店を失ってから、また店をやると決意した頃に、知り合いから赤塚さんのことを教えてもらいました。

色々と悩んでいる時で、ブログを見た時にショックをうけました。

本当に素晴らしい仕事をしている人がいるとわかって嬉しくて涙が止まりませんでした。

自分の甘さがつくづく嫌になったし、もっともっと努力をしたいと思いました。

僕は、儲けるということで悩んでいました。

安ければいいという甘えがありました。

でも、今は誇りを持って儲けようと考えてます。

その考えに近づけたのは、赤塚さんのおかげです。

良いものをつくり続けようと、そして、その結果で儲けられれば幸いだと思えるようになりました。

 

 今はまだ、「また店をやる」という夢のスタートラインに立ったばかりですが、必ずかなえてみせます。

赤塚さんのブログや想いが 僕を救ってくれたし、夢の途中「今」の僕の背中をそっと支えてくれてます。

そのことを伝えたくて恥ずかしながら手紙を書かせていただきました。

へたくそな文章で失礼しました。

 

 本当に、本当にありがとうございます。

僕の夢100個の中で、赤塚さんのところで家か店をつくる!!

ずっと先のことだと思いますが、そのときはよろしくお願いします(笑)

 

    本格的な暑さが続きますので、お身体を御自愛ください。

                                   M・M

 

   澤田ファミリーに告ぐ   本気のブログ、書こうよ

 ワシらの仕事、日本を変える。

 その自覚と覚悟、いますぐはらわたの底に落とそうよ。

澤田親方のおかげて、こんな手紙をいただける人生に入れていただけました。

感謝です。

バカげた発想力が日本を救うのだ!

2012年08月10日

  澤田リーダーが秋山木工、秋山利輝社長と仲良しになってくれました。

仲を取り持ったワシとしては、無上の喜びでございます。

秋山家での囲炉裏、炉端焼き大晩餐会から一夜明けて、今度は工場の視察。

一流ホテルの家具から、ルイビトンやシャネルといった超高級ブランドの家具が、一流の若き職人の手によって次々生み出されてゆきます。

徹夜で納品し、明け方に帰ってきた丁稚たちもシャキシャキ働いてます。

「丁稚のすすめ」という秋山社長の本を是非お読みくださいませ。

住環境の10月の勉強会にて、講演していただくことになっています。

ご参加されたらきっとビックリされますよ。

営業一切せず、毎月手作り家具を一億位上売り上げてゆく、その奥義を知りたくありませんか?

 

  「秋山のオヤジ、いいなぁ・・・俺、弟子入りしたくなった」

ポツリとつぶやく澤田リーダーの目は、とても優しく、何処か遠くを見るような憂いに満ちていました。

そのまま帰るつもりだったのですが、「アカツカさん、スゴイ材木の乾燥技術の会社があるから、見学に行かない?」と澤田リーダー。

秋山木工の見学で、澤田さんのどこか新たな本気スイッチが入ったのでしょうか。

横浜の駅から、HPで電話番号調べて突撃アポ。

当日の見学予約はお断りと言われても、澤田さん、情熱を込めてお願いしました。

聞くと、全く別々のルートで同時にその会社の本を贈られたそうで、「行かなきゃいけない」と直感が告げたとのこと。

午後に会えることになって、ワシら二人、大荷物を転がしながら板橋区高島平に向かったのでした。

その途中、ワシの携帯に一通のメール。

教育勅語のCDで、かみさまのおやくそくを朗読してくれている、ビロードの声の持ち主、しおりさんからでした。

「今日、赤塚建設に一冊の本が届きます。素晴らしいサムライをご紹介したいのです。会っていただく前に本をお読みくださいませ。東京に来られた時にどうしても出会っていただきたいのです。」  そんな、内容でした。

その会社の名前は、さっき澤田さんが電話していた会社の名前と同じ、愛工房。

え、・・・澤田さんにそのメール見せて、二人同時に「なんじゃこりゃ!」

鳥肌立ちました。  すぐに、しおりさんに電話して、愛工房の伊藤社長に話してもらいました。 

伊藤社長も、「出会うべくして出会う方なのですね」と。

もちろん、しおりさんもビックリ。

   

  運命が変わる時、必ず人との出会いがあります。

愛工房の驚くべき低温乾燥技術によって作り出された杉は、すごいエネルギーを放ち、空間を生命力いっぱいに満たしてくれます。

ワシが、ここで多くを語ることは必要ないでしょう。

神様が宿る家が、この技術によって進化し、多くの人の健康と幸せに貢献し、そして、日本の森林を救うことになるのは間違いありませんから。

澤田リーダーの新刊、「神様が宿る家Ⅱ」は、新次元に突入するパスポートとなることでしょう。

 

 

世界最強の丁稚

2012年08月09日

  親方と丁稚

今では天然記念物のような師弟関係

そんな絶滅危惧種が、横浜に存在します。

天皇陛下の家具、三越の高級家具、ディズニーランド、超一流ホテルの家具を作ってる

秋山木工。

秋山利輝社長は、16歳で家具職人の道に入って、凄腕の職人となりました。

皇居の家具、昭和天皇の研究室の家具までも任される超一流職人で、その作品は美術館に展示されているほどです。

でも、秋山さんが素敵なのは、家具職人としての頂点を極めたことに満足することなく、一流の職人作りに命を懸ける覚悟をされたことなのです。

今年で36年になるそうです。

全国から高校を出た若者が、毎年10人ほど横浜にやってきます。

共同生活、休みは盆と正月だけ。

朝は、六時からマラソン、毎日。レポート毎日。

恋愛禁止、私用の携帯電話禁止、発覚したら即クビ。

男女の区別なく、全員丸坊主。

四年間の丁稚生活の後、職人として四年、秋山木工で働くも、稼げる職人となった時に、秋山さんは全員クビにします。

財産となった人間は、自分が取り込んじゃいけない、日本のためにならない。

秋山木工の卒業生は、引く手数多。

八年で一流の家具職人を作れるかどうかが、自分の勝負だと言う秋山さんは、毎朝、丁稚と一緒にマラソンしてます。

 

 秋山さんとの出会いは、今から24年前のこと。

糸川英夫博士の家での学びの会で、一緒に過ごした時から。

何度もイスラエルに一緒に行きました。

二人のお嬢さんの結婚式の司会もさせてもらいました。

挙げ句の果てに、秋山さんが奥さんを亡くされて、再婚する時の司会もさせてもらいました。

なんだか、親戚以上の付き合いになってます。

 

  横浜での澤田塾のあと、澤田さんと二人で秋山さんのおうちを訪ねました。

宮大工を父に持つ澤田さんは、飲むほどに秋山さんに共感共鳴。

なんと、澤田さん、秋山さんに弟子入り申し込んでました。

酔っぱらいだけど、本気みたいでしたわ。

ワシも、嬉しかったですね、男同士の時間。

 

  秋山さんの家具は、ワシんとこのログハウスでも見ていただけます。

 

10月の住環境の勉強会では、秋山さんが丁稚つれて講演にきてくれます。

仲間にも刺激になることでしょう、モノづくりの原点が人づくりだとかみしめるひとときになるでしょうから。

 

 日本の文化って、こんな風に息づいている。

秋山木工のように、赤塚建設も世の中に必要とされる会社にならなきゃいけない。

すべては住まう方の笑顔と健康のために。

英霊に感謝

2012年08月08日

  兵庫の山からおりてきたお猿さんが、見学会の助っ人として現場に来てくれたのは、有り難いことでした。

ちょうど、ワシが護国神社に向かって出発した時間から、戻るまでの隙間を埋めるようにして天が遣わしてくれたのか、と、手を合わせたのでした。

 

 「英霊にこたえる会」は、全国で300万人以上の会員がいるそうです。

三重県本部の総会の記念講演をと、依頼がありました。

三重ふるさと新聞に掲載させてもらっているエッセイを、会長が読んでくださったのがきっかけで、去年ペリリュー島の話をしたのでした。

戦後の自虐的歴史教育で、戦前の日本の全てが否定されてしまいましたが、実際に現地に足を運んでみると、全く間違いだということがわかりました。

日本軍は、パラオの島民を護りました。

ペリリュー島での決戦を前に、共に戦いたいという島民全員を軍艦に載せて、安全なパラオ本島に送りとどけています。

日本軍は、本当に強かった。

わずか1万の守備隊が、武器弾薬、食料の補給も一切絶たれた中で、4万を超える世界最強の米国連合艦隊相手に3ヶ月近くも戦い抜いたのです。

ジャングルには、ゼロ戦も戦車もそのときのまま捨ておかれていました。

高射砲の据えられた岩陰、その岩肌にこう書かれているのを見つけてしまったのです。

 

   カアサンアイタイ

 

立っていられないほどの深い哀しみにおそわれて泣きました。

ワシの子どものような歳の兵士たち。

祖国を離れて3000キロ、南の島で戦ってくれたおかげで今日があります。

国家・国民のために殉じた英霊を慰霊するのは、どこの国でも当たり前のこと。

オバマ大統領がアーリントン墓地に行くのは当然です。

 

 英霊に感謝を捧げる靖国参拝を、軍国主義を賛美することと一緒にしてはなりません。

日本は、軍国主義に走ることはありません。

国に殉じた多くの魂を鎮め、敬意を払い感謝の念を捧げるのは、人として当然のことでしょう。

ましてや、国の代表者が、そのことを率先しないとは不思議でなりません。

 

  終戦の日は、靖国神社に参拝していました。

東京にいけない時は、三重県護国神社で玉串を捧げてきました。

その場所で、講演を二年連続でさせてもらったことも、何か目に見えない計らいを感じます。

 

  今年は、神話と教育勅語を語りました。

多勢の聴衆、遺族の方や元軍人の方も多く、ご高齢でして、講演中に英霊になられたらどうしようかとハラハラし通しでしたが・・・(笑)

 

 

 

みんなどっかおかしいね

2012年08月07日

  マホちゃん先生が、英語を覚え始めた頃

I live in TOKYO. を過去形にするってどう言うの?と 寛子さんに聞きました。

えーーーと、それはね、 I live in EDO(江戸)やて

語録は、無数にあって、一冊の本になるくらいです。

 

 ところで、久々にびっくりしました今日は

事務所の裏のところにすきまがあって、そこからネコが天井裏に入ってしまいます。

もう何年も、ネコは屋根裏に入り込んでは出産、子育てをするようになりました。

不潔だし、お客様がこられてるにも関わらず、天井裏を走るネコには困らされているのです。

今は、子猫も大きくなって天井裏から出て行っているから、この隙に入り口をふさいでしまおうって。

 そのとき、寛子さんのお言葉が・・・・

今、ふたさなくてもいいじゃない、春まで来ないですよ・・・って

そして、その上「春は、ネコの産卵期だからね~」だって

   ごめん、なんぼなんでもネコは卵で生まない。

産卵期って・・・~?

 

  どうしようもなく、しんどい日々には、こんな時間があったらうれしいね。

 ワシらは、機械じゃないからね、ちょっと充電の必要ありやもんね。

 

 ちょっと昔に、うつ病になって、死にかけて、そのあと一ヶ月精神病院に入れられたのでした。

まあ、変わった人がおりました。

一日中、ご飯粒をひとつぶずつ食べてる女の人。

ずーーーっと壁を見つめてるお姉さん。

・・・もちろん、ワシもそのうちの一人だと自覚しましたが、なんだか、医者も看護婦も見舞い客も、塀の外側の人たちも、みんなどっかおかしいなと思った。

正しいも間違いも、どこに線が引かれているのかわからなくなりました。

ひとつだけわかったことがあるとしたら、

「自分が正しい」と思った瞬間が、すべての過ちの始まりかも知れないってことでしょうか。

想いをカタチに換えて

2012年08月06日

 女子マラソンを夜中のTVで追っかけながら書いてます。

沿道で応援する中に、日の丸が揺れるととても嬉しい気持ちがします。

 

 三重県初の「〇宣言の家」

二日にわたる完成見学会で、一枚の折り込みチラシも、ポストインもしていないにもかかわらず、

24組の御来場をいただきました。 

魔法の家の見学会に来てくださった方、セミナーに来てくださった方のみの御案内80通のうち24組ですから、

イチローなみの打率です。

日曜には兵庫のおサルキャッキャ乱入、怪しい助っ人の浪岡選手も機関銃のごとくしゃべりまくっておりました。

語らずにはいられない・・・そんな感じでしょうか。

しかも、これまで最後の決断ができずにいた方が、「神様が宿る家」の驚くべき能力に一歩踏み出す覚悟を決めてくださいました。

 

Hさまは、2世帯住宅、さまざまな条件の中で「建てたい」を「建てる」にシフトできずにおられました。

次から次へと「できない理由」を見つけては、昨日と同じ今日を送っておられたのでした

お話をさせていただき、わかっていただいても、次にお会いする時には、新しい問題を見つけては、何故できないかを御説明くださるのです。

ワシの願いは、Hさまの笑顔と健康です。

この一ヶ月、お待ちしていました。 最後の決断、はじめの一歩は、Hさまご自身が踏み出していただかなくてはなりません。

見学会の御案内させていただきましたが、来てくださるかどうかはわかりませんでした。

でも、ご予約くださいました。

御家族全員で、お越し下さいました。

「決めました、お願いします」 建物の中に流れるエネルギーを感じてくださったHさまの表情は素敵でした。

小さな工務店が、大きな想いで挑んだ0宣言の家は、言葉にできないワシの心を伝えてくれたようです。

 

  さあて、新しい一週間が始まります。

ちらちらと、横目で見ていた女子マラソンもエチオピアの選手がオリンピックレコードで優勝しました。

今週も3件の御契約をいただく、恵みの一週間が与えられます。

極限状態のスケジュールの中、ワシらのリーダーは新しい本の執筆活動の山場を迎えておられます。

そんな状況の中からも、毎日「どうも~」って電話をくださいます。

ワシの会社のことを氣にかけてくださり、お客様に御迷惑をかけないようにと様々なアドバイスをいただけます。

みんなのための本を、最幸のものにするため、念には念を入れておられます。

「時間が無いって、言い訳するくらいなら死んだほうがいい」 

自分自身に一切の言い訳を許さないから、人にも厳しくでき、言われた者も深いところで受け止めることができるのでしょう。

 

 夜中の3時になりました。

とりあえず、今夜は、このへんで良しとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

どんだけすごい家やねん!

2012年08月05日

 トリプル断熱+0宣言+生体エネルギー=神様が宿る家

 

 広告も入れず、宣伝も無く、これまでに見学会に来てくださった80名の方々にお手紙でご案内させていただきました。

ゆっくりと体感していただくため、完全予約制です。

今日は、11組の御来場でした。

そのうち3組のお方とは、御契約いただくことになりました。

 25年間、工務店の社長をさせてもらって、こんなこと初めてです。

何万枚ものチラシを新聞に折込して、ずっと現場で待ってて、今か今かと待ち続けて一組も来られないことが何度もありました。

来られたお客様を追いかけて、追いかけて、すがりついて、コメツキバッタの様にぺこぺこヘコヘコ言われるままに振り回され。

何でも言うこと聞きます、と奴隷のようにひざまづき、子犬のように尻尾を振って・・・

挙句の果てに、土地を買ったらお金が足りず、ローコスト住宅にさらわれてゆく。 

誉れも、誇りも無い営業をしながら、「世の中甘くないぜ」とつぶやく。

夜討ち朝駆け当たり前。

これじゃ、心に良いわけないよ、

 わかっちゃいるけど、やめられませんでした。

 

・・・そんなこと、ふと思い出しつつ

 炎天下の現場見学会。

エアコンもまだついていないO様邸。

窓は、すべて締め切っています。

・・・玄関を入った瞬間、お客様の顔が変わるのがわかります。

「え!・・なんで、涼しい!?」

新築の完成現場で、どうして匂いが無い、締め切ってるのに空気が涼やか?

売り込み一切なしです。

ただ、体感していただくのみです。

 

  二階は、一階よりも涼しい。

ありえません、大抵この季節、上に熱気が溜まり、ムッとするのがお約束だから・・・誰もがビックリ。

実は、ワシもビックリですねん。

ここまですごいのか、「神様が宿る家」

 

  ブログを読んできてくださった、桑名のAさま、美人3人組さん。

御来場ありがとうございました。きっと手に入れてくださいね、「神様が宿る家」

この世で一番素晴らしい家ですから!

 もうすぐリフォーム着工させていただくSさま、遠いところ運転してきてくださって感謝です。

「絶対、うちも見学会してくださいね!!」って言っていただけることの喜びをかみしめています。

 

 生き方ショボイ、能書きばかり、性格も悪い・・・

だけど、ワシはくじけない、神様があたえてくださったこの家を伝えるんや。

 生き方変えます、性格も変えます、能書きちょっと減らします。

ワシは、この家ホンマにひとりでも多くの人に住んで欲しいと魂の底から願う。

 

もう一日、O様邸、使わせていただきます。 ありがとうございます。

ほんまにすごい家やわ!!

 

   明日もきっと、ハレルヤ!!

 

 

 

 

一枚のはがきから

2012年08月04日

 人が人と出会う方法は、三つ

一つ、直接会う。

これは、両方の都合が合わないと難しい上に、良い状態で双方がいるなんてそうザラにあるもんじゃありません。

この方がご機嫌斜めだと、会うと修羅場、会わねば地獄という状況になります。

二つ目が、電話で話す。

やりとりが早いので、連絡には良いかもしれませんが、

こちらの都合いいとき、相手はお取り込み中だったりして、状況がわからないというところが問題です。

かえって相手に迷惑をかけることがあるのが電話なのかも知れません。

三つ目が、手紙を書く。

手紙は、自分の都合のいいときに書き、相手も都合のいいときに読む。

両方の最も良い状況で出会いやすいツールです。

特にはがきは、多くの人の目に触れながら付加価値が着いて届きます。

 

 このごろよく、「毎日ブログ、書き続けられるのはどうして?」と聞かれます。

ひとつは、澤田さんが書いているから。

あの方は、どんなハードスケジュールでも一切の言い訳をされず、言ったことを実践されます。

性格の悪い能書きたれのヤギでも、一つくらいはやれることがあると思わせてもらえたのも、澤田さんのお陰です。

本当に感謝ですね。

もうひとつは、このブログという新しいつながり方の以前に、ずっとはがきを書き続けていたから書くことが苦にならないのです。

ブログを書き始めるころは、ずいぶんと筆不精になっていましたが、ワシは、本当に筆まめでした。

自分で言うのだからまちがいない。

名刺交換したら、必ずはがきを書きました。

「出会いには、いきさつを超えた目に見えない力がはたらいています。

今日、お出会いいただけたことに感謝します。

優しい一言が、今も心に残ります。

この次またお目にかからせていただける日を

一日千秋の思いで待っています。」・・・そんな150文字ほどの文章ですが、必ず書いていました。

相手のお方の名前を書き、語りかけるようにして書きました。

年間1500通、一日平均5枚ほど書き続けていました。

1万通までは、記録が残っています。

300通、500通と返事が来なくても書き続けているうちに、不思議と思いもよらない縁が拓いてゆきました。

手書きの文字は、一文字一文字が祈りの言葉でしょうか。

念を込めるという感覚も知ったように思えます。

 

 今は、時代が変わって新しい道具が与えられましたが、根本の原理原則は同じでしょう。

読んでくださる相手の笑顔を思い浮かべつつ、今日もこうしてパソコンのキイを叩くのです。

 

 人生でもっとも大事な宝は、善き友ですね。

 

 

 

ti

2012年08月04日