赤塚高仁ブログ「これでいいのだ!」

八八会

2012年10月21日

 29歳の時、JC(青年会議所)に入会しました。

28歳でゼネコンを辞めて地元に帰り、異業種交流、人脈つくりの思いもありましたから。

1988年入会なので、八八会と呼ばれます。

どうも、他の入会年度のメンバーは同期の桜意識はあまりないようで、八八会は異色の集まりのようです。

JCに入ったおかげで、ある成功哲学のプログラムと出会い、その会で知り合った社長が糸川博士に紹介してくれたのですから、

縁というものはわからないものです。

糸川英夫博士に弟子入りして、東京に毎月のように通うようになったある日、博士からこう聞かれます。

「あなた、JCって何の略か知ってる?」

・・・青年会議所、Junior Chamber・・・でしょうか・・と答えかけると

「ジョッキ クラブよ。 いつも乾杯ばかりしてるでしょう。

 何度か講演に呼ばれたけど、聞く態度は悪いし、講演終わったあとの飲み会のことで頭一杯。

 ちっとも勉強しようとしない」 

この言葉に後押しされて、ワシは一年半でJCを退会するのですが、不思議なことに八八会にはずっとつながっております。

いい友達です。

JCは40歳までなので、いまでは全員卒業してますが、中退者はワシ一人です。

みんながJC活動してる時、ワシは糸川博士とイスラエルの交流のお手伝いをしておりました。

秋山木工の秋山社長やハワイのリキさんは、そのときに仲良しになりました。

 

さて、夕べは、最年長の桜井さんがとうとう還暦ということでお祝い会。

4年ぶり会合のでしたが、24年前にタイムスリップ。

津に帰ってきたばかりの頃、夢と不安が入り混じり、でも、熱い想いが湧かされてならなかった若き日々。

朝まで飲んだものです。

でも、思い出話はありません。 だって、ワシ、一年半しかいなかったのですから。

今に生きてるみんなだからいいのです。

そこが単なる同窓会や、大学の校友会と違うのですよ。

それぞれの現場で、経営者として一所懸命戦ってるから。

そんな調子で日本酒をかぷかぷ飲んだものですから、なんと意識を失ってしまいました。

日頃澤田ファミリーで飲む時は、緊張していますから心から酔ってないのかも知れません。

恐ろしいことに、途中から全く記憶がありません。

誰が送ってくれたのでしょうか、家に帰ってました。

朝までソファーで寝てました。

変わらないメンバーだけど、西出君の髪の毛はなくなったし、ワシの頭も白くなったし

お酒もすっかり弱くなりました。

きっと死ぬまでの付き合いになる、不思議な会。

出会えてよかったわ。

 

 

根なし草には花が咲かない

2012年10月20日

 澤田塾で「物語」を全社まとめることになり、これまで歩いてきた道を振り返っています。

数値目標、理念、哲学、マニュアル・・・・

さまざまな必要なものがありますが、今、澤田さんが最も重要だとして、全員に命じたことが「物語」を書くこと。

 

 松下幸之助さんは、こんな風に言っておられます。

「時代の流れ、世の中の変化に対応してゆくことが大事だとは言っても、

世間の動きに心をうばわれるあまり、みずからの信念なり自分の店の伝統というものを

軽視することがあっては決してならないと思います。

ここが非常に大事なところだと思います。

「根なし草には花が咲かぬ」と言いますが、自分自身にしっかりとした信念がなければ、

ほんとうの商売というものはやはり営めないと思うのです。

ですから、お互い、五年なり十年なり自分の店を経営してきた過程で培ったそれぞれの伝統というものを、

この際さらに深く再認識し、自分の体験で基づいた自分自身の信念というものを固めなくてはならない。

そういう確固とした信念に立って熱心に創意工夫を重ねてゆくならば、

今日の速い時代の流れというものにも、臨機応変、自由自在についてゆくことができると思います。」

 

 自分の根っこ、今いちど、改めてじっくり見据えてみます

四流の人生

2012年10月19日

  衆議院議員会館で澤田先生の講演を聞かせていただきました。

立派な建物、セキュリティチェック、物々しい雰囲気でした。

会場に着くと、広い会場にパラ   パラと聴衆が。

自民党の何ちゃらとかいう国会議員が始まりの挨拶。

「何とかかんとか..・・・云々カンヌン、で、澤田先生のご講演を聞かせていただき、

建築の問題を多いに学ばせていただく所存でございます」

最前列に座ったその代議士先生も、30分もしないうちに出て行った。

ホンマに実名あげたろかいな。

残った数人の代議士先生も、ちゃんと座ってられへん。

踏ん反り返って、後頭部が床に着きそう。

澤田さんより行儀悪いっちゅうの!

腕組みしてると思ったら、寝てるやんか。

 

   議員会館で、超党派の勉強会って・・・

 

ま、四流のワシに相応しい国会議員会館でありました。

政治家に期待をしてはいけないという学びのひとときでもありました。

 

一人一人が変わること。

世界は、それでしか変わらないでしょう。

たとえ四流の人生であっても、そこで喜んで花咲かせたいと念じます。

生まれてこれただけで大儲け。

ワシは、今、幸せです。

 

 

 

 

リキさん

2012年10月18日

 ハワイはホノルル、ワイキキビーチ近くにある「ふるさと」というお店。

海外進出した最も古い日本料理店の一つに数えられる老舗です。

オーナーの柳屋力さんは、チカラって言うんだホントはね。

だけどみんなが呼ぶから、リキさんなんだよ、

おもろいね、リキさん。

 

  リキさんと初めて出会ったのは、20年ほど前、インドに行くための経由地、バンコクの空港でした。

当時リキさんは、ハワイを始め、サウジアラビア、ポルトガル、香港、マカオ、など7カ国に14の料理店をもち、

世界狭しと飛び回っていました。

国際的な活動が糸川英夫博士の目にとまり、リキさんは、日本とイスラエルを結ぶ世界的な協会

「日本テクニオン協会」の二代目会長となられました。

初代会長である糸川博士のご指名でした。

ちなみに、三代目は赤塚高仁さんです。f^_^;)

それはおいといて、

リキさんは、とにかくいつも機嫌がいいのです。

暖かく、会うだけでホッとするのです。

 

  リキさん、久しぶりの来日です。

ずっとワシのブログ、読んでくれてたらしく、澤田先生の話しを聞きたいって。

調べて、国会議員会館での講演会に申し込んで下さったようです。

今日、澤田先生講演会in議員会館

リキさん、どんな風に澤田先生のこと感じてくださるか、

とてもとても楽しみなのです。

リキさんにも「神様が宿る家」伝道師になってもらいたいですから。

 

   追伸です。

今日の読売新聞、全国版に「神様が宿る家2」全面広告!     すごい!!

国会議員に喝!

 

  

伊勢の風を感じながら

2012年10月17日

  岐阜県は、関市にいます。

澤田さんに会いにきました。

プライベートな時間ですが、こんなひとときにふと垣間見る「人間・澤田升男」の姿が一層、心の距離を近くします。

和波社長も一緒ですが、先輩としてのアドバイス、深く心に染みます。

会合もお開きとなり、一人ビジネスホテルの部屋でブログを書いてます。

 

  今日は、伊勢の神嘗祭。

伊勢の神宮は、天照大御神が祀られている皇大神宮(内宮)と、豊受大神の外宮、14の別宮に摂社末社合わせて、

125の宮の集合体です。

毎日祭りがあり、年間1500回を超える祭りが執り行われています。

中でも最も大切な祭りと言われているのが、今日の神嘗祭。

天照大御神に今年とれた稲穂を捧げます。

天皇陛下、お手植えの稲穂も届けられます。

 

  毎年、この日には全国から仲間が集まり、夜の御祭りを奉観させていただくのが恒例行事となっていました。

修養団の道場では、夜明けまで直会が続いていることでしょう。

ワシも明け方、関を発ち、早朝正式参拝に加わります。

服の0宣言とも言える自然素材ブランド、「うさと」のデザイナーであり社長、ワシの魂の兄弟、うーさんこと、さとううさぶろう氏もタイへの帰国を延ばして神嘗祭に参加しています。

2012年、今年の祈りは特に大切に思えます。

だから、日本のために魂いっぱい祈ります。

 

 

 

心がつくり出した問題

2012年10月16日

 二つか三つの問題が起こってきたら、右往左往する、てんやわんやの状態でうろたえるというようなことは、

その会社に経営の基本理念というものが確立していないからではないかと思います。

それでは会社もうまくいきません。

利益もあがらない、欠損も続く、人も辞めさせなければならなくなって、結局は世間に迷惑をかけることになるという感じがするのです。

最善を尽くしても、時の勢いでどうしても人を減らさなければならないといった場合もありましょう。

けれども、それはあくまで例外であって、普通の場合はだいたいうまくいくようになっているんですね。

空気もあるし、水もあるし、生きてゆくすべての条件はもともと備わっているのです。

それがうまくいかないというのは、人間自身がそうしているのですわ。

 不景気でも、これは天然現象ではありませんね。

みんな心の所産ですわな。

どれも人々がみずからつくり出した問題で、天然現象でも何でもない。

 

                        松下幸之助

 

 

  目に見えるすべてのものが自分の鏡。

今一度、心静かにして、本当に大事なものって何かを、心に聞きましょう。

光陰矢のごとしですね

2012年10月15日

 飛島建設を退社して、実家の稼業を継いでから24年になります。

四国で瀬戸大橋や空港、高速道路、ダムの営業をしていました。

津に帰ってきて「建設業」というカテゴリーの中でも、全くのちがう「住宅」という世界にとまどい、

工務店経営に自信を失い、深刻なうつ病になってしまいました。

自殺未遂、精神病棟への入院・・・一見絶望的な時代でしたが、あの頃があったからこそ、人生の再スタートがきれたのだと、今では思えます。

どんなにしんどいことも「きっといつかのいい日のためにある」と思えるのです。

でも、さすがに不安でした、あの頃のワシは。

ハウスメーカーの下請け工務店を、元請けの建築会社にしたいと思いながらもどうすればいいのかわかりませんでした。

そんなとき、ある方の紹介で一件のお宅を受注させていただきました。 初めての契約でした。

何の実績もないワシに大きな家をお任せくださったそのお施主から、昨日お葉書をいただきました。

 

 「10月も10日をすぎ、やっと朝夕涼風を感じる好季となりました。

その後お変りなく御活躍のことと存じます。

新聞広告の紙上で頑張っておられるご様子伺い、大変嬉しくおよろこびいたします。

本日はまたまた大変嬉しいプレゼント、花屋さんから届けて下さり感謝の言葉もございません。

ありがとうございます。

後期高齢者のバースディとは言え、きれいなお花は本当にうれしく、思わず花束に顔をうずめたことでした。

お会いして24年の歳月が流れました。

本当によいお出会いだったと心から神仏に感謝しております。

快適な我が家、24年、未だ何もかも満足で楽しく暮らしております。

益々のご繁栄を心よりお祈りいたします。  本当にありがとうございました」

 

  24年経ったのですね、まさに光陰矢のごとしです。

月曜日の朝礼では、その週にお誕生日を迎えられるお客様の名前を呼んでお祝いの拍手をします。

お誕生日には、毎年、奥様に花束を贈らせていただいています。

お葉書をくださったOさまから数えて、百数十名になりました。

 

 ところで、週末の完成見学会、二日間で58組の来場をいただきました。

誕生日をともにお祝いできる、そんな素敵な出会いを願いながら、今週も走らせていただきます。

すべては住まう方の笑顔と健康のために。

 

マンダラ手帳

2012年10月14日

 29歳の時に初めて手にしてから、24年間使い続けている手帳です。

松村寧雄先生が開発された、MY法が元になり、進化し続けている手帳でもあります。

松村先生やMY法を知らなくても、マンダラ手帳は持っているという方とはずいぶんお会いしました。

年に一度開かれるマンダラチャート学会では、その手帳の使い方のコンテストも行われ、入賞者のスピーチが実に興味深かったです。

「質問家」という肩書を持ち、「魔法の質問」の著者でもあるマツダミヒロさんの手帳が公開されました。

 

 マツダさんの2013年の手帳は、一年間びっしり書きこまれており、2013年はすでに終わっています。

どういうことかというと、9月になって新しいマンダラ手帳が出来上がるとすぐに、来年のしたいことや願いを手帳に書き込むのです。

たとえば、来年の10月14日の予定を見ると「家族で山梨に旅行」と書いてあります。

さて、一年分の願いを書きこんだ後、少し時間をおいてからもう一度一年を見直してみるそうです。

それは、最初に書き上げた予定のようなものは、「頭が書かせた」ものであって、読み返してみるときに、抵抗感が心の中に起きたものは消してゆく。

心が、嫌な気持ちになるものは、たとえ利益の出るようなことであっても削除してしまうのです。

マインドとハートの両輪でつくりあげた2013年の未来予想図をみせてもらいました。

使い終わった手帳のように置いてある、その拍子に刻印されている「2013」の文字が不思議な感じでした。

ですから、マツダミヒロさんは、実際の予定を書くための手帳をもう一冊購入しておられるそうです。

 

 成功者の原理原則、 「鮮やかにビジョンを描き」それを「紙に書き」、「期限を決める」

マンダラ手帳は、夢の実現手帳と呼ばれるようになりました。

24年ももっているのに、数ヶ月前に手に入れたという女の子の手帳に負けてしまってるワシって・・・

 

 来年のマンダラ手帳、ぴかぴかの新品であります。 今日、封を切ります。

 

A様邸、完成現場見学会です。    顔晴って出かけます。

意志を超えた大きな力の導き

2012年10月13日

  今回の人生で、日本人に生まれたということは、これはワシの意志ではありません。

運命、あるいは宿命とも呼ぶべきものでしょうか。

このことは、ワシらの仕事についてもある程度言えるのではないでしょうか。

会社に入る、職業を選ぶという場合、確かに自分で決めるには違いありませんが、

同時に自分の意志を超えた大きな力の導きがあったようにも思えるのです。

そう考えて、心定めるのも一つのあり方かも知れません。

与えられた環境に感謝し、精進する時、安心立命の世界への道が拓けるのでしょうか。

 

  今日は東京は市ヶ谷で、MYチャート学会のフェスティバルがあります。

マンダラ手帳の開発者でもある松村寧雄先生が生み出した、マンダラチャート。

マインドMAPよりもはるかに優れた思考ツールとして広がっています。

松村先生とは、24年のお付き合いで、今日のイベントも司会を仰せつかっています。

仏教から宗教を取り除いた「仏陀の智慧」が MY法の真髄です。

ワシはこれまで4回インドを訪ねましたが、そのうち2回は松村先生の導きです。

釈迦が六年間苦行をしてたジャングルの中にもジープに乗って行きました。

悟りを開いた菩提樹の下で座りました。

仏陀が初めて法を説いた地にも、法華経が説かれた鷲頭山にも登りました。

 

    人と人とは、目に見えない、いきさつを超えた大きな導きによって出会わされるのでしょうか。

訪ねる地も、導かれてゆくのかも知れません。

一見バラバラで、無意味、無目的に思えるような出来事が、ふと振り返る時、

一本の糸でつながっていることってありますよね。

 

    生かされていることの懐かしさに、ふと胸があつくなる。

そんな今日の秋の風です。  車窓から富士山がとても綺麗です。

 

協力業者会

2012年10月12日

 父の時代に「講」という集まりを月に一度やっていたことを思い出します。

設計から始まって、基礎、大工、電気、水道、左官・・・20数種の業者さんが関わり家が出来上がります。

仲間意識を持つこととても大事だから、懇親会をし、旅行にも行きました。

「赤友会」という名前だったでしょうか。

父は、月末の支払いは、必ず会社にいて業者さんに集金に来てもらっていました。

何人かが同時に会社に来ると、控えの場所で待っていたりしました。

ワシは、それが無駄なことと思え、支払いはすべて振り込みに変えました。

赤友会を、「我楽他倶楽部」と名前を変え、業者さんたちへの勉強会にしました。

中でも、5年以上続けたでしょうか、「寺子屋勉強会」は面白かったです。

職人さんや業者さん、一人一人を講師の先生にして20分の講演をしてもらうのです。

毎月三人ずつ。

知識や情報を話してはなりません。

産まれてからこれまでの人生で、本当に大変だったけど乗り越えたことや、

最高に感動して涙を流したようなことを語るのです。

そうです、物語を語ってもらうのです。

聞く方は、聞く練習です。

1・うなづく

2・笑う

3・思い切り拍手する

一人に一つづつドラマがあります。

え~、あの大工さん、若いころはあんなことしてたんだ、

ペンキ屋さん、ミュージシャンを目指してたのか・・・なんて、心の距離が近づきました。

建築部長として25年間一緒に働いてくれたMさんが退社した時から、協力業者会も行われなくなっていきました。

 

 澤田塾の学びの中で、協力業者会の重要性を思い出さされました。

トップを走るIGコンサルティングの現場の綺麗さは、協力業者の心の高さだと聞かされました。

そして、今日、浜松へやって来ました。

IGさんの現場と協力業者会を見学させていただくためです。

入江監督と参加して学ばせてもらう予定でしたが、新しい工事部長・谷口直輝さんと来ました。

現場は、どこの現場も同じくキレイ、ゴミひとつ、吸殻一本落ちてません。

職人さん、挨拶明るく素晴らしいです。  具体的な明確な目標が出来ました。

 

100名以上の業者さんたちが、気をつけ!の姿勢から、大きな声で挨拶の練習です。

「この会社で仕事をすることを誇りにしてもらいたい。

 胸を張ってもらえる会社にしてゆこう。

自分の仕事で、どんな貢献を世の中にしているのか、自覚しようよ」

 

  さあて、IGさんに見せていただきました。

今日発足する、谷口リーダーがまとめる新協力業者会。

今、変わってゆきます。