「伝える」と「伝わる」
きれいねつと11周年感謝祭、
朝10時から18時まで、
何人の講師が登壇したのでしょう。
それも
誰も皆3時間は講演される講師陣。
今回、ひとりの持ち時間30分
ある人は20分、あるいは10分。
普通なら、
もっと話したい!と持ち時間が伸び、
どんどんスケジュールが押してゆきます。
ところが、
完璧な流れで
予定通りに全て完了しました。
「場」の持つエネルギーを味わうひとときでした。
みんな誰もが
想いを「伝えたい」のです。
だから、言葉にします。
伝えるということのなかには、
「伝えたこと」と、「伝わったこと」があります。
そのふたつは違います。
伝えたことと、向こうに伝わったこと‥‥
つねにこの二つは乖離しています。
いちばん陥りがちなのは、「伝えたつもり」になることです。
わかってくれているだろうという、
話し手の甘えがあります。
つもりになっている人は、本気度が足らないのです。
私の伝えたことは、相手に伝わっていなかった。
そんなことを
数え切れないほど繰り返してきました。
私はただ、「伝えたつもり」になっていたんです。
そこから何度も、10回でも、20回でも、伝え方を変えていきました。
「愛国心」
それだと右翼と間違われます。
でも、「家族を大切に思う気持ち」として語れば、
「伝わる」ことがわかりました。
それが私の17年の経験です。
「伝えたつもり」がいちばん恐いのです。
それは多分、
死ぬほど本気で考えているところがないと、
伝わらないのだろうと思うのです。
「伝えること」は、自分の人間性を磨いていかないとできないと思います。
嫌われていたら、話など聞いてもらえません。
講演のたびに、
本気で人前に立ってきました。
そこは、逃げ場のない時空ですから、
本気になる以外存在を許されません。
パワーポイントなど持ちません、
自分という人間がその場でさらけ出されるのですから、
「本気で伝える」以外ありません。
その本気が、私を育ててくれました。
「がんばってます」なんて言って、
がんばってる「つもり」になってたら、そのまま10年、20年経ってしまう。
そういう人は成長しません。
ただ、
「本気」であることと「重い」ことを勘違いしている人も多いようです。
軽やかに笑ってようが、何してようが、死ぬほど考えて本気である、という状況が聴く人の心に届くのだと思えます。
村上和雄先生は、
「ニコニコ顔で命がけ」と言われました。
赤塚高仁は、
「力んで出るのはウンコだけ」と言います。
全く違う表現ですが、
同じものが伝わるといいなぁと思います。
そんな伝える達人の講師が勢ぞろいし、
聴く人たちも愛をもって受け止める。
そんな場が清められ、高められ、
フィナーレの頃には
「神さまのつくりたかった世界」が出現してました。
また来年京都で開催されます。
もっと自分を磨いて、
「伝わる」話、届けに来たいですね。