赤塚高仁ブログ

「組曲ヤマト人への手紙」完成します

2017.10.12

 帰国して帰社して、お昼休みに水素風呂で活性酸素を除去して、
机の上に山積みとなっていた書類に目を通して、
熊野に向かいました。
時差ボケでさすがに運転に自信がなくて、寛子さんに運転してもらいました。
夜、熊野で一仕事終えて夜中に津に戻りました。

熊野にある天女座のことは先週、今週のメルマガ「ヤマト人への福音」に書いていますのでお読みください。
出逢いにも「時がある」ということをしみじみとかみしめます。

わが師、糸川英夫博士は東京出身というプロフィールですが、
お父さんは熊野の人だったかと思います。
糸川先生と一緒に熊野に行ったことがあって、海で泳いだ話を聞きました。
糸川先生が脳梗塞で倒れる前のことでした。
とても懐かしそうに、とても嬉しそうに話していた先生の顔が思い出されます。

イスラエルの旅は、私にとって糸川先生の遺志の継承であります。
また、キリストイエス、聖書の伝道でもあります。
ツアーは、私の時間はほぼありませんが、とても幸せな気持ちにさせていただけます。
それは、初めてイスラエルを訪ねた兄弟姉妹の顔がどんどん輝いてゆくのを見ることができるからです。

「聞いてたことと全然違う」

危険なところだと思って、家族にも内緒で来た人。
遺書を書いてまで来た人もありました。
それでも、信頼する友の誘いでやってこられたわけです。
しかし、
100%全員がカルチャーショックを受ける世界、それがイスラエルです。
聞いていたことが「事実ではない」と知るとき、
人は本当のことを知ろうという心が生まれます。
「WHY?」と問いかけが生まれるのです。

 私は、29歳で初めてイスラエルを訪ねたときから、
29年間そのことを訴え続けているのです。
「新聞で信じていいのは日付だけ」だと。

そんな思いを書き綴った「ヤマト人への手紙」です。
このたびイスラエルの旅で魂の友とのふれあいで、
その13の章が曲となり、「組曲・ヤマト人への手紙」が完成します。

そこで限定300部だけ特別愛蔵版を製作して、
ハードカバー製本の新しい本とCDを箱に詰めてお届けすることにしました。
ずっとながく読み伝えてもらいたいと願います。
曲に寄せての新しい章も書き下ろしました。
テーマ曲「ヤマト人への手紙」がいつも胸に響いたらいいなぁと思います。

 この300部に限り、矢吹紫帆・矢中鷹光そして赤塚高仁のサイン色紙をプレゼントしようということになり、
色紙つくりに行ってきたわけです。
あ、
それから、もう一曲レコーディングもしましたから、お楽しみに。
11月10日の桑名講演会で発売ですが、ホームページで予約申し込みしてくださると確実です。

 何が私に起こっているのか、いまはわからないけれど、
いいことが起こるように、ただ願うばかりです。

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