あとになってわかること
マホちゃん先生がカナダに行ってしまってから一週間が過ぎました。
いったい今頃どこで何をしていることでしょう。
気にならないといえば嘘になりますね。
いつまでたっても自分の子供だという心が離れない、
要は子離れができない幼稚な心だということです、私が。
親はこんなにも子どものことが気になるものなのか、ということを娘が教えてくれています。
ちょうど私がマホちゃん先生の年の頃、糸川英夫博士と出会い、運命が変わってゆきます。
毎月東京の博士の自宅に通っていました。
旧約聖書に学ぶ人間の生き方、命の喜ぶ講義でした、
4000年の人類の智慧を、糸川英夫の読み解きで学べるのですから。
午後、津を出て夕方に世田谷の糸川邸に到着し、
2時間ほどの講義の後は、アンさんがつくってくださるお料理におにぎり、
そして美味しいお酒。
糸川先生は、皆が話しているのを嬉しそうにながめています。
じゃ、おやすみと糸川先生は寝室にゆき、
だんだん人が減り、私はごろ寝して明け方に目が覚める。
時には車で東京まで往復しました。
それから糸川先生にイスラエルへ、インドへと連れて行っていただきました。
名古屋組織工学研究会のメンバーにもしてもらいました。
糸川先生に言われることには
「ハイ」か「イエス」しかありませんでした。
糸川先生との時間を作るため、青年会議所(JC)も辞め、
建設業協会や建築士会にもいきませんでした。
あの頃の私は、暗いトンネルの中で一筋の光明を見つけ出したような気がしていました。
自分の存在の希薄さや、生き方さえ見失っていた私でした。
この先生についていこう、そう決めて追いかけていました。
でも、父の目にどう映ったのでしょう。
イスラエルだインドだ、組織工学だと飛びまわる息子の姿は。
心配だったに違いありません。
仕事と関係ないようにみえる世界にのめり込んで、
まるで新興宗教に入れ込んでいると思われても仕方のないありさまでしたから。
糸川先生の元で学んだことは、
いますぐに役立つ「ノウハウ」ではなく、
人生への深い問いかけ「ホワイ」でした。
だから、父が心配したであろうことは、今、とてもよくわかるのです。
でも、父は怒りもしなければ、説教もしませんでした、
ただ、信じてくれていたのです。
私のことを。
心配するというのは、信用していないこと。
親が子供に
「お前が心配だ」と言う時、
子供には
「お前を信用していない」と聞こえます。
明日を思うと不安が立ち上がります。
未来には不安しかありません。
昨日を考えると後悔が湧き上がります。
未来も、過去も存在しない、私が生み出す幻想の世界ですから、
そこにはエネルギーはありません。
エネルギーの場は、
「今」「ここ」だけ。
マホちゃん先生のことを思っていたら、父のことが湧き上がります。
ものすごい感謝が湧き上がります。
おとうさん、ありがとう。
お父さん、有難う。
おとうさん、ありがとう。
信じて待つ、大きな勇気であり、
強い愛です。
立場が変わるとは、視座が真逆になるということ。
見える風景が一変します。
お父さんがしてくれたように、
私も娘を信じて、見守り、私がなすべきことを今日も為します。
あとから気づくこと、たくさんあります。
気づいたときから世界は変わります。