ありがとうは魔法の言葉
「ありがとう」と口にすると、
いいことが起きて、運が良くなる。
そう書かれている本がたくさんあります。
「ありがとう」
「ついてる」
何万回唱えると人生が変わるという人もあります。
本当のことだと思います。
いいことが起きますし、運命が変わる出逢いがあったりします。
でも、
ある日、いいことが起こらないようになります。
それどころか、自分に都合の悪いことが起こることが多くなったりします。
そのときに
「神も仏もあるものか!」と腹を立てて、ありがとうを言わなくなったり、
別の本に書いてある「掃除」や「断捨離」をやったりします。
すると、またいいことが起きます。
ところが、
またある日、いいことが起こらないようになります。
それどころか、苦しいことがやってきたりします。
実は、
これこそが、神の恵み、恩寵の始まりなのです。
神さまは、私たちの親です。
だから親は、子どもの嫌なことはしませんし、成長を願います。
寝ていた子どもがハイハイしたら嬉しいです。
這えば立て、
立てば歩めの親心です。
でも、
二十歳になってもハイハイしていたら、さすがに親としても心配です。
最初は喜んでも、そのうち叱ります。
それが親心です。
「ありがとう」を言ったこともない、いつも不平不満愚痴泣き言悪口を言ってた人が、
「ありがとう」を言い続けたら、親は喜んで、褒美をくれるでしょう。
でも、いつまでもそこにいたらいけないよ、というサインをくれるのも親である神様です。
だから、そのサインに気づいて、次の段階にいかなければなりません。
誰かに親切にしてもらったら「ありがとう」を言うのが当たり前です。
当たり前のことも出来なかった人が、当たり前のことができるようになれば、
親も、神様も喜びます。
これは成長の過程ですね。
「ありがとう」を言い続けると、いいことが立てつづけに起こってきます。
それだけで人生を終えると、
もらうばっかりの人生になってしまいます。
人が生まれてきたのは、誰かの役に立つためです。
命は、自分のためではなく、誰かのために使うことになっています。
それなのに、もらうばかりでは、神様は喜ばれません。
「ありがとう」は、いうばかりではなく、
「ありがとう」を言われる人生を送るように成長するのが、次の段階です。
いつも笑顔でいる。
悪いことを口から出さない。
それだけで「感じのいい人」になります。
電車でお年寄りに席をゆずるだけでも、
コンビニのドアを開けてあげるだけでも「ありがとう」と言われます。
そんなささいな「ありがとう」を毎日貯金してゆくのです。
これが「天国預金」です。
商売も、お金を払ってくれる人に「ありがとう」を言うのは当たり前ですが、
「ありがとう」と言われてお金をいただき、
お金を払わない、買わない人にも愛想よくしてゆけば必ず繁盛するでしょう。
「手のひらは、もらうためより あげるため」
イスラエルで子どもたちに教えている大切なことです。
今日一日、笑顔で、ありがとうと言われるように生きてゆきましょう。
今日も読んでくださってありがとう!