かみさまとのおやくそく
今から四千年ほど前のこと、
イスラエルという国にモーゼという偉大なリーダーがいました。
モーゼは、かみさまの声を聞き、
それを「かみさまとのおやくそく」としてユダヤの民を率いたのです。
かみさまは、モーゼに一〇個の戒めを与え、
その言葉は石版に刻まれました。
それが、ユダヤの律法の根本原則「十戒」です。
二千年前に国を失い、
流浪の民となったユダヤ民族ですが、このかみさまとのおやくそくを忘れませんでした。
「どうしてウソをついてはいけないの?」
と子供に聞かれたら、「モーゼの十戒にある、かみさまとのおやくそくだから」とユダヤの民は言います。
わけなどいらないのです。
かみさまとのおやくそくですから。
ところで、日本が長い鎖国の時代を経て、
世界の国々と対峙してゆこうとしたとき、明治天皇は、何もかもが欧米化し大切な大和のこころが失われそうになる風潮に対して、何よりも大切なことは徳育だとお考えになり、教育に関する勅語を出されました。
日本人なら誰もが知っていたおやくそくでした。
アメリカの世界最強の太平洋艦隊に真正面から戦いを挑んだのは、黄色人種である日本の連合艦隊だけです。
77年前のことです。
イタリアやドイツが連合国に屈しても、日本は最後の最後まで降伏しませんでした。
アメリカ、欧米諸国は、
日本人が己を捨てて、愛する人のため、祖国のために戦い続けることに恐怖を抱きました。
日本を占領した白人代表のアメリカは、教育を侵略し、日本人から国の歴史である神話と、愛国心を巧みに奪う工作を遂行しました。
戦前の日本はすべてが間違っていたという自虐史観を植えつけるために、何の審議もせず、明治天皇の魂、かみさまとのおやくそくである教育勅語は廃止されたのです。
教育勅語は、軍国主義につながる間違ったものだという人もいますが、そんな人たちの中で教育勅語を読み、理解している人に、私は一人もお目にかかったことがありません。
読んだこともないものをどうして批判できるのでしょう?
だから、私は読んでみたのです。
教育勅語を暗誦し、繰り返し繰り返しかみ締めたらこんな風に聞こえてきました。
かみさまとのおやくそく
おおむかしに、わたしたちのそせんが、
にっぽんというくにをつくったとき、
こころのきれいなひとたちがすむ、
りっぱなくににしようとおもいました。
そしてみんなが、そのきもちをたいせつにして、
こころをひとつにしてがんばったから
いまのにっぽんがあるのです。
それはとてもほこらしいことです。
みなさんは、おとうさん、おかあさんをたいせつにして、きょうだい、しまいはたすけあいましょう。
おとうさん、おかあさんはなかよくしましょう。
ともだちはたいせつにして、いじわるをしたり、うそをいってはなりません。
いばったりじまんしたりせずに、こまっているひとがいたら、たすけてあげましょう。
べんきょうはなまけずに、いろいろなことをおぼえたり、かんがえたりして、かしこくなりましょう。
ひとのことをうらやましがったり、ひがんだりせずに、すすんでみんなのためになることをしましょう。
ずるしたりせずに、きまりはきちんとまもりましょう。
もし、たいへんなことがおこったら、ゆうきをだしてみんなのためにはたらきましょう。
このおやくそくはずっとむかしから、みんながだいじにしてきました。
みんながおおきくなっても、がいこくでもかわらないほんとうにだいじなことですから、みなさんも、このおやくそくをまもって、りっぱなひとになりましょう。
かみさまとのおやくそくを取り戻す時、それは今です。
日本は世界の灯明台となって、
世界をいいふうにするお役目がありますし、
日本人に生まれた私たちは、
一人一人の場所で、
和する心を輝かせるために、
やってきたのですから。