赤塚高仁ブログ

ことばは神であった

2019.03.26

 はじめに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
この言葉は神と共にあった。
すべてのものは、これによってできた。
できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
この言葉に命があった。
そしてこの命は人の光であった。
光は闇の中に輝いている。
そして、闇はこれに勝たなかった。
(ヨハネによる福音書・第一章)

各地での聖書塾が始まりました。
堅苦しい宗教談議や、気の滅入るお祈りから解放されて、
げらげら笑いながら、神様へ向かおうという世界初の試みです。
きっと、
カトリックの神父さんは怒るでしょうね。
不謹慎だ!と。
でも、
聖書も持たず、教会にも行かず、
野原や道端や井戸のそばで笑い話をしながら、
ときには大酒を飲みながら、
神さまを証ししていたのが、30歳のイエスでした。
もちろん、
私はボランティアで聖書講義をやりませんし、
道端でパンフレットを配ったりもしません。

「人生が変わる聖書漫談師」という、
唯一無二の肩書をもつ伝道師として立っています。
これが私のライフワークです。

 各地の聖書講義の第1講義は、
「コトバのチカラ」です。
講義のために、改めて聖書を読んで再発見しています。
この世界で、どれほど「言葉」が重要なのかということを。

目に見えるすべてのものは、
目に見えない世界からやってきますが、
それは「言葉」の変化体なのです。

「言葉」とは、「いのち」が乗った「音」
いのり、であり、言霊なのです。

これほど大切なものを、ないがしろにしてしまっています。
心はころころ変わるから、
心を変えようとすると前に進めなくなってしまいます。
けれど、
「言葉」を変えることは今スグできます。
思考のエネルギーは「言葉」で表します。
まわりがどんなに乱れた言葉を使っていようと、
人も自分も気持ち良くなる素敵な言葉を使うと決めましょう。

人生は、口から入れるものではなく、
口から出す言葉によって創り上げられてゆくのですから。

PAGE TOP