赤塚高仁ブログ

この人についてゆく

2019.05.22

 どこまでもいこう
  道は果てなくても

 口笛を吹きながら
   走っていこう

 ずいぶん前にTVで流れていた
モービル石油のCMソングだったでしょうか、
「車は、ガソリンで走るのです」
と、ナレーションが入りました。

 何故だか急に、頭の中にこの曲が流れてきて、
いろんなことが心に湧きあがってきています。

29歳のときに糸川英夫とお出逢いをいただきました。
人生に絶望していたときでしたから、
まさに希望の光のように思え、
「この人についてゆく」と、勝手に決めて追いかけました。
しかし、
何年もそばにいて、
人間糸川英夫を見ているうちに、
いやなところが目につくようになります。

 「恋は盲目」、とはよく言ったもので
あばたもえくぼだったのに、
えくぼはやっぱりあばただったのか・・と思い始めます。
すると、
することなすこと、
言われることひとつひとつが嫌になってきます。
そして
だんだん態度も横柄になり、
横着な対応をとるようになっていきました。
いま思い出しても恥ずかしいし、
先生から叱られ、出入り禁止にされたこともありました。

 それでも糸川先生が亡くなるまでそばにいさせてもらえたのは、
ひとえに「ご縁」であり、先生のことを尊敬し、
先生のことが好きだったからでしょう。
振り返ってみて
逃げ出さなくてよかったと、
改めてつくづくそう思うのです。

いろんな先生に出会い、
いいとこどりをして勉強することはよくあることです。
でも、
 師匠という存在は、
自分の考えを抑えて「ハイ」と言えるかどうか、
白いものでも、師匠が黒といえばクロと言えるかどうか、
つまり、
自分を殺し、エゴを切ること。
自分の枠を破り、変容するのは普通の勉強では無理でした。

 わがままで、傲慢な私が今日こうして幅広い世界の方々とのご縁を得て、
豊かに暮らしていられるのも師匠である糸川先生の教えを生きてきたからです。

「赤塚さん、
 人生の成功者とは、
 ご縁を大切にする人のことですよ」

今も聞こえる、糸川先生の声・・・

出会いと別れを繰り返しながら、
人生という旅は続いてゆきますが、
分かれるときこそが肝心です。

 振り返り、
  ご縁の有難さを知り、
 感謝する

どこまでもゆこう
  道はけわしくとも
口笛を吹きながら
 走ってゆこう

 車はガソリンで走るのです、
 人はご縁で生きるのです

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