この素晴らしき世界
人は皆、悩みの中
あの鐘を鳴らすのは、あなた
と
和田アキ子は歌いましたが、
生きている限り、
問題は尽きることはありません。
過ぎた昨日を想い悩み、
まだ見ぬ明日を憂う
私たちは、今回、地球に生まれ、
日本という素晴らしい国の民族として生かされ、
家族や仲間の中で暮らしています。
そして、
人間関係と
経済活動という課題を学び続けています。
生きている限り、私たちは問題に出くわし、
思い悩んだり、解決に向けた努力をするのですが、
問題を意識するあまり、本当のことを見失ってしまうことがあります。
問題が人を悩ますのではなく、
その問題で悩んでいる自分があるのです。
自分はどんな反応をしているのか・・・・・
その問題に対して
失望、絶望、 焦り、苛立ち、怒り、憎しみ、悲しみ、落ち込み、不安、心配、恐れ、孤独、自己卑下…
そんな感情が湧きあがり、
その感情が自分だと思い込んでしまいます
その状態になったのは、
問題のせいだと考えてしまいます。
しかし、
問題はただ「あることがあるだけ」で
感情を自分だと思う思考を観察する必要があるのです。
感情に乗っ取られて、
自分のコントロールを失ってしまうとき、
その状態でエネルギーはじゃじゃ漏れになってゆきます。
これは、問題がエネルギーを漏らすのではなく、
その「問題」に対する自分自身の思考や感情によって漏れてゆくのです。
だから、
問題はただそこにあるだけで、
エネルギーがじゃじゃ漏れになる原因は、私自身の内側にあるのです。
そこで、
外側の問題に目を奪われるのではなく、
内側の課題に意識を向けてみる。
すると、
問題は解決するのでなく、存在しなくなるのです。
問題は解決しようとすると、
次の問題を生むという性質があります。
その問題に反応している自分を見据える。
それが、自分の闇を見ることです。
自分が無意識の内に抱えている課題 ── そこに全ての問題の本質があります。
問題が自分の外側にあると考えている間は、
エネルギーがじゃじゃ漏れになってしまいます。
エネルギーをじゃじゃ漏れにしたまま、
外側に答えを探しまわっても何も解決はしません。
ちょうど、
風呂の栓を抜いたまま、
湯を溜めようとしているようなものです。
たとえば、
「自分が自分の人生を生きる」
言いかえれば
「ライフワークを喜んで生きる」
と、決めるのです。
私は、そのことに気づいた瞬間から人生が新しくなりました。
人生はドラマ
でも、
そのドラマの主人公が「両親」「気に入らない他人」「兄弟」「職場の人間」・・
だったりして、自分がどこかに行ってしまっていることがあります。
誰かの人生の生きるために私たちは生まれてきたわけではありません。
私たちは、
誰にも代えられない、かけがえのない自分を生きるために生まれてきました。
さあ、お盆の休みが始まります。
しっかり自分を見て、自分の内側を知り、
自分の闇に降りて、
光の射す方へ向かいましょう。
特別なセミナーに行かなくても、宇宙人に相談しなくても、
宗教の集まりに行かなくても、
漏れているエネルギーを止めることさえできたら、
自然に自分の中にエネルギーが立ち上がり、
創造的に思考が働き出し、運勢が好転するように、
神さまはこの世界を創ってくださっています。
私たちは、豊かな世界を味わい、遊ぶためにやってきたのです。
絶えず喜んで、神さまを賛美して歩いてゆきましょう。
なんて世界は素晴らしいのでしょう!