はやぶさ2着陸成功!
初代「はやぶさ」が、小惑星「イトカワ」に着陸したのが、
もう14年前のことになるのですね。
様々な試練を乗り越えて、地球に帰ってきた「はやぶさ」。
7年間、
60億キロという途方もない旅路を独りぼっちで飛んだ、
私の友だち。
打ち上げに立ち会いました。
鹿児島内之浦の発射基地で、JAXAのヘルメットをつけて、
発射台から340メートルという至近距離で。
2003年5月7日のことだったと記憶しています。
新聞記者の見学席が、発射台から2キロの場所ですから、
私がいたところがどれくらい近いのか想像してみてください。
JAXAの記録班の位置ですから、ロケットの発射の一部始終が見えます。
目の前を火を噴いて空に駆け上る銀の竜。
その光と音と衝撃波で、
私は動けなくなりました。
追いかける目から涙が溢れました。
無条件の感動でした。
探査機も、人工衛星も打ち上げに成功して、
軌道に投入できたとき名前がつけられます。
「ミューゼスC」と呼ばれていた太陽系探査機が
「はやぶさ」と名づけられた時は嬉しかったです。
そして、その後
小惑星の命名権を買い取り、
「イトカワ」とネーミングされたとき、
思わず「やったー」と小さく叫び、
ガッツポーズをとってしまったほどです。
糸川先生のお弟子さんたちの愛情を感じます。
私を発射台のそばまで入れて、打ち上げに立ち会わせてくれたのも、
糸川先生のお弟子さんたちです。
世界新記録を6つも樹立した「はやぶさ」
私の自慢の友だち。
糸川先生は本当にすごい人だったのですね。
いまもなお宇宙開発の世界に影響を与え続けているのですから・・・
糸川英夫博士の最晩年10年間、
そばにいさせてもらいましたが、
私が何よりもすごいなぁと思うのは、
私にほとんどロケットの話をしたことがないということです。
過去の栄光に全く興味のない先生でした。
勲2等瑞宝章という勲章も、見せてくださいというと、
「どこにあるかわからない」と言われ、
次に
「見つかったけど、持ってく?」と、
勲章を私にくれようするほど、
地位や名誉に何の価値も見出さなかった人でした。
ただ、
いま目の前にあることを面白がり、
前例のないことにチャレンジし続けた天才科学者でした。
さあ、
そんなイトカワ遺伝子を継承した「はやぶさ2」
今度のターゲットは「リュウグウ」
玉手箱をもって帰ってきておくれ。
生命の秘密の詰まった小惑星の砂をもって。
東京オリンピックが終わったら、はやぶさ2は帰還します。
私たちも負けずに日々を冒険しよう。