赤塚高仁ブログ

もっともっと・・・という病

2017.06.28

 必要なものがあればいい・・・と、いいながら、つい余計なものを買い込んでしまいます。
気をつけていても、知らぬ間にモノがあふれてゆきます。
テレビでは、それでももっともっと買え!と煽ります。

 何年も着ていない洋服たち、
 読もうと思って積んである本の山、
 たくさんの荷物があるのに、また買ってくる。

もったいない、と教えられてきました。
モノを大切にせよというのは本当のことでしょう、
でも、
どこかでかけ違えてきたボタンを見直す必要があります。

お腹がいっぱいなのに、つい余分に口にしてしまう。
必要以上に欲しがるのは何故でしょうか。

足りない足りない・・という心の声はどこから湧きあがって来るのでしょう。

 その人と出会えただけで嬉しい、と思っていたはずなのに、
もっともっと・・・と期待して、
その期待が叶わないと「裏切られた」と傷つく。
その人を、信頼しても期待しなければ、ずいぶん人との関係は楽になることでしょう。
人間関係が崩壊するのは、大抵そんな場合か、
相手と比べて、自分が劣っていると思うパターンに陥っている場合のようです。
エゴは相手ではなく、自分自身を傷つけてしまいます。

自分が劣っていると思い始めると、人と比べて自分の劣っているところを無意識に探すと同時に、
相手の欠点ばかりに気がつくようになります。
すると、エクボはアバタに見え始めるのです。
やがて心は自分を守るため
「私が苦しいのはあいつのせいだ」と理屈を見つけます。
犠牲者の怒り・・・
怒りでまともな景色が見えないことに気づくことができくなり、同じパターンを繰り返します。

 足りない足りない足りない・・・というアタマの中の声は、
「今の私ではいけない」「今のままでは愛される資格がない」という心の叫びでもあります。
だから、誰かに意見を求めたり、人に相談したりするのでしょう。
どうしたら楽になれるのかと

すると、いつしか誰かの思想で自分を縛り始めます。
それが「依存」となるのです。

 祈り
 信仰 
 とても大切ですが、他者への依存が始まると苦しみも始まります。
 「依存」が生み出すのは「恐怖」だからです。

お友達のやましたひでこさんは、「断捨離」で多くの人を救っていますが、
心の中の「もっともっと」を消すのは容易ではないから、目の前のモノを消すことで身軽にするのです。
人は、いつも見るものに似てきます。
心を身軽にするために、身の回りからモノを減らして軽くなる。

 さ、気づいた時が始まり。
 今日も心の中の整理整頓を意識して生きてゆきます。

幸せは、失ってから気づくものではなく
いまここで、いつでも感じることのできる世界。

相手を信頼しても期待しない・・・とても大切ですね。

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