ウソ いつわりの世界
たんーじょう【誕生】
①人の生まれること。出生。出産。
「--祝い」
②比喩的に、新しく物事が成立すること。
「新しいカップルがーーする」
と、広辞苑には書かれています。
では、「誕」という字を調べてみましょう。
たん【誕】
①いつわること。でたらめ。うそ。
「虚誕・荒誕」
②ほしいままのさま。
「放誕」
③うむこと。うまれること。
「誕生・降誕」
修養団の故・中山靖雄先生が
「赤塚さん、誕生とは『ウソいつわりの世界』にやってくることなんですよ」
と言われたことがありました。
誕生の「誕」はウソいつわりという意味です。
そんな世界に肉体をもってやってくるのですから、
「生まれることは苦しみである」と喝破した仏陀はすごいです。
「老いることは苦しみである」
「病になることは苦しみである」
「死んでゆくのは苦しみである」
「生老病死」の4苦に加え
「会いたい人に会えないのは苦しみである」
「憎い人に会っているのは苦しみである」
「思い通りにならないのは苦しみである」
そして、「本能が盛んで制御できないのは苦しみである」
という4苦を加えた「四苦八苦」
イエスは、この世を支配するのはサタンであり、それを神が良しとしていると言いました。
ただし、神が「良し」としている範囲の中でです。
パウロは、「サタンは光の天使に偽装してやってくる」とも言っています。
「モノ」「カネ」の世界は、どうやらサタンの支配にあり、
神もそれを承認している世界が、地球の3次元現象界のようです。
光の国からやってきた私たちは、霊そのものであり、天とつながる天使です。
エデンの園、ヤマトでは高天原と呼ばれる光の国(もちろんおなじところです)ではすべてがひとつ。
そこからやってくる赤ちゃんとは、まさに神を現す光の存在です。
その御霊が、無防備でこの世にさらされている間、我々は親の愛や周囲の加護によって生かされます。
御霊の輝きで親を始め、まわりは癒され、また、あるべき自分の本来の姿を思い出すのです。
ところが、
やがて、知恵の実を食べた私たちは「目が開き」、
「自分」という錯覚を勝手に作り上げ、苦しみの世界を泳ぎ始めるのです。
苦しみのほとんどが、
「私について考えること」ですから。
私を無くするとき、私たちは「苦」からの解放を得るのでしょう。
ウソいつわりの世界を生きながら、いつしか本当のことを知る日を願って旅は続きます。
ところで、お葬式のときに
「故人は生前みなさまに大変お世話になって・・・・」と喪主の挨拶を聞かれたことありませんか?
「せいぜん・・・生前」とは一体・・・?
故人が今いるところが「死」の世界ならば、残されたこの世は「死前」でしょう。
しかし、
向こう側が、「生」だから、
その前の世界がこちら側だという言葉ですね、「生前お世話になって」という表現は。
きっと、帰った先は本当の世界。
こちらがウソいつわりの世界。
だから、本当の世界の生き方を学ばねばなりません。
それを知るには、祖先から伝わり、時を超えてきた神話が一番でしょう。
「古事記」を読もう。
そして、「聖書」を読もう。
宗教を超えて、本当の自分と出会うためにも。