カオスの女王
ラジオ番組4回放送のうち、2回が終了しました。
最終回は、クリスマスの朝放送されます。
パーソナリティのNAMIEさん、素敵な感性の方で、私のたくさんの引き出しを開けてくださいました。
きっと、多くの人の心のやまとこころに火が灯ることでしょう。
NAMIEさんは、私の聖書塾のお弟子さんでもあります。
久し振りの集会で再会の後、こんなブログを書いてくれました。
「号泣しました。
本日の夜は、大阪から移動して、桑名やまとこころの会、同窓会。
赤塚さんの、聖書塾です。
ここしばらくわたしの番組「カオスの女王」にゲスト出演していただいている
赤塚 高仁さんとはラジオ収録以来の再会でした。
今日、この場所で赤塚さんのお話が始まった途端からなみえはすでに涙ぐんでいました。
赤塚さんは、聖書をどこで どう学び、そのご自分の師匠との心のやりとりがどんなものであったか、
それをお話ししていました。
なみえは、知っていました。
赤塚さんにとってのその大切な大切な師匠が急に亡くなられて、
わたしの番組の赤塚さん出演の収録予定だった日は、
本当はその師匠の高橋恒男先生のご葬儀の日でした。
ギャラもない、交通費もない、
わたしのような素人のパーソナリティーのラジオ番組のために、
大切な師匠のご葬儀を諦められて、
赤塚さんは 何も言わず待ち合わせの場所にいらっしゃいました。
そこで 初めてお聞きしてわたしは ひっくり返るほど驚いて、
でも 赤塚さんは、
「それでも、これは
なみえちゃんとの約束だったから。
簡単に約束を放棄するわけにはいかない。
約束とはそういうものだから」。
そんな大切な日に 収録させていただいたのが赤塚さんの 全4回出演の放送でした。
赤塚さんが、今日、この場で一番最近の新著のあとがきをみんなの前で読んでくださいました。
そのあとがきには師匠 高橋恒男先生への想いが綴られていました。
赤塚さんが、読みながら、声を詰まらせる一瞬もありました。
ご葬儀の日、ラジオの収録をしていたあいだ赤塚さんの頭の中で
高橋先生との思い出がずっと巡っていたことも。
そして、心の中で高橋先生の声が聞こえた、と。
このラジオの赤塚さんのお話の最後の放送日がクリスマスになるという不思議な流れになったことも。
すべて書かれていました。
なみえは 号泣しました。
本当は なみえの中では収録日からずっとこんなに大切な日に
あまりにモノを知らなさすぎるわたしのつたない進行のラジオ番組のために
赤塚さんにとっての
(そして 高橋恒男先生にとっての)
本当に本当に大切なお別れの時間が失われてしまったこと、
ラジオ収録の前にはわたしの個人的な問題があったこと、
(全く話すつもりがなかったのになぜ 自分がそれを話すことになったのか自分でも それがいつまでも分からなかった)
ずーっと
ずーっと
ずーっと
考え続けていました。
わたしはそれにふさわしい人間ではないのに、とか
わたしの番組は それに応えられるほど影響力が大きいわけでもないし、とか
だから 何回も何回も
申し訳ない気持ちでいっぱいになったりしました。
だけど
だからこそ
ものすごく真剣に、考えていました。
本心に立ち返る、ということも
信じられている、ということも
喜ぶ、ということも。
わたしが、自分のことをちっぽけだと思うなんてことはきっと願われてることじゃない。
それなら
大切な時間をいただいたことを、せめて自分の人生に全力で生かそう。
本気で、本心に帰ると心に決めよう。
ひとりでも多くの人にこのお話が伝わるようにそれだけを考えよう。
だって、
たったひとりでもラジオを聞いてくれたことで心に炎が灯ったら
そこからまた きっと誰かに繋がる。
もしも わたしひとりが変わるだけだとしても
わたしから 我が子に伝わるだけでもそこからきっと 何かに繋がる。
きっと 神様は
効率よく どうこう なんてことより
ひとりひとりが それぞれの立場で小さい炎を大切にするだけでも
にっこり笑って 喜んでくれる。
不思議なご縁で
とても大切な日に、ずっと繋がれてきた炎がわたしの心に届けられたこと
ずっと 忘れずにいようと思います。
これからも 間違ったり 離れたりいろんなことがあるかもしれないけど
それでも いつも本心に帰る、ということを思い出せるわたしになろう。
赤塚さんは 収録の最終回、放送の中で
「呼んでくれて、
話せる機会をくれて ありがとう、
感謝していますよ」
と
おっしゃいました。
12月の放送で流れます。
赤塚さんがたとえ わたしの素人の番組であっても
それをちっぽけなものだとは思わないでこんなふうに 感謝の気持ちを伝えてくださいました。
それがまた わたしに大切なものを残してくれました。
すべてに、感謝です。
すべてのものに、感謝です。」
なみえさん、ありがとう。
私の方こそ救われました。
師の葬儀に臨席するより、はるかに師匠が喜んでくださる伝道の場を与えてくれたのですから。
あと2回の放送、楽しみにしています。
私の言葉の背後には、高橋恒男先生が
そして、その背後には、イエスキリストが在ります。
桑名聖書塾のメンバーもこのラジオ番組「カオスの女王」を聴いてくれていて、
みなが共鳴共感できたことも嬉しいことでした。
聖書塾が始まった頃の緊張感や、固さがとけて、
いつしか魂の兄弟姉妹となっている感覚、これが素晴らしいのです。
キリスト教ではなく、キリストの霊が一人ひとりの魂に触れ、それまで会ったことのない新しい自分と出逢う。
きっと、イエスが生きた時代も、そんなふうに仲間が広がっていったに違いありません。
これを「エクレシア」(初代教会)と呼んだと、聖書の原文には書かれています。
イエスはキリスト教の教祖ではありません。
神の栄光を顕した、愛の人です。