赤塚高仁ブログ

コマーシャルを打つ値段

2017.07.28

 私が子供のころは、誰もが同じ歌を歌い、同じ商品を買いました。
TVで宣伝するものを持ってないことが恥ずかしい、とさえ思ったものです。
古き良き時代ですね。

 テレビの放送局も多くありませんでしたし、
高視聴率の番組は、みんな見ていて、見逃すとクラスの話題についてゆけなかったりしました。

テレビで有名人が宣伝するものは、「いいものだ」という神話のようなものがありました。
自動車も
家電も
食品も
そして、家も

 しかし、よく考えればわかることですが、
企業が支払う莫大な宣伝料は、商品の値段に乗せられています。
この事実を多くの人が認識していないように思えます。

 大量生産、大量販売して大きな利益を得るために宣伝をします。
コマーシャルを打たなければ値段は下がります。
しかし、大量販売するために、莫大な広告宣伝費をかけて、その費用を売価に乗せます。

今、商品の寿命がどんどん短くなっています。
同じものが売れ続けることがなくなり、定番商品が姿を消しています。
もはや、大量生産・大量販売の時代ではないと思えます。
それでも、企業はコマーシャルをやめません。

 本当にいいものであれば、少々値段が高くても買います。
いいものだから高くて当たり前、とまでは言いませんが、
いいものは大量生産されることは少なく、思いを込めて作られ、届けられてゆきます。
だから、宣伝などしません。

 大量販売を目指す企業は、経済が最優先されます。
だから、消費する人たちの健康や幸せは後回しにするのも当然のことです。

でも、それに私たちが洗脳され、奴隷のように支配されることは不要ではないでしょうか。

 世界で、25年しか持たない住宅をテレビで宣伝して大量に販売する国は日本だけです。
民族にとって「家」とは民族の歴史であり文化であるはずですが、
日本では、住宅は産業になってしまっています。

 不動産会社や住宅メーカーの販売戦略に乗って、無理に家を買わなくてもよいと思います。
土地も所有しなくてよいと思います。

本は買って読む、家は借りて住む。

それでいいと思うのです。

 もはや、私はハウスメーカーが作るような家には、まったく興味も持てなくなってしまいました。
自動車と家は違いますから。
もちろん、それで十分満足する人もたくさんいますから、すべての人にわかってもらう必要もありませんが・・・

それでも、コマーシャルを見てものを買うのは考えものだと、知ってほしいなぁとは思うのです。

 

 

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