コンプレックスを力に
いつの間にか、知らぬ間に、自分勝手に創り上げた
「私」という錯覚。
人は、「私」に苦しみます。
「私」は誰?
その答えを求めて旅をするのが人生の目的の一つです。
答えが見つからなくても大丈夫です。
人は何度も生まれ変わって、終わりなき旅は続きますから。
今回生まれてきたことも、
出会う人も皆、聖なる約束なのです。
生まれて最初に大きな影響を与えてくれた両親。
「お前はそんなこと向いていない」
「お前にはムリ」
「お前は親の言うことを聞いていればいい」
「そんなもの失敗する」
「そんな人と付き合ってはダメ」
・・・
そこで創られた「私」はコンプレックスをもち、
自分とはこういうものだとラベルを貼ります。
友だちから、恋人から、先生から、家族から
「あなたはそんな人じゃないよね」
「そんなことしないよね」
「どうしてこうしてくれないの」
と、言われるのが怖くて期待に応えようとして、
人から望まれる自分を演じます。
しかし、その演技の根っこにあるのは、
「本当の私は必要とされていない」というコンプレックスです。
プライドの高い人と話していると、
自分が創った枠の外へは出ようとしないので、
しんどくなります。
と、同時に、
他人を自分の枠にあてはめようとして、
その期待に応えるのも難儀です。
「私なんかダメ」という謙虚に見せかけた卑屈さも、
「私は特別」というプライドに飾られた傲慢さも、
どちらも恐怖が生み出したコンプレックスです。
心の奥の方で静かに呼びかけている、
本当の自分の声を聴いて、時を見計らって自分を解放しましょう。
つきあっていて、苦しくなる相手とは離れる努力をしましょう。
人生で嫌なことはふたつ。
一つは、会いたい人に会えないこと。
もう一つは、
会いたくない人に会っていること。
会いたい人に会う努力をするくらいの勢いで、
会いたくない人に会わない努力も必要です。
まどみちおさんの「ぞうさん」
ぞうさん、ぞうさん
お鼻がながいのね・・・これ、明らかにいじめですよ
でも、コンプレックスのない小象は
そうよ! 母さんもながいのよ!!と、答えます。
私は、この歌を口ずさみます。
ちょっとだけしんどいときは。
素敵です、この分離感のなさ。
鼻が長いという事実はひとつ。
でも、
見かたはふたつ。
どちらを選択するのも自由です。
でも、喜びの多い日々を送りたいと私は願います。
生きててよかった、今日も