ジャッジしないということ
2016.11.20
イエスキリストは、
「人を裁くな
自分が裁かれないために」
と、言っています。
なぜジャッジしてはいけないのか。
なぜジャッジする必要がないのか。
人は誰もが神の分け御霊です。
でも、経験から人それぞれの価値観や考え方、生き方の傾向が生まれます。
エゴが作り出した思い込みと、神聖なる本質との二重構造の中で不調和を持つからこそ人は苦しむのでしょう。
肉体をもって生かされている人生は、源へと帰還するためのプロセスです。
無知を知に、不純を清浄に、愚かさを賢さに...。
皆それぞれの物語を設定し、大がかりな人生という舞台を演じながら学び気づいていくのです。
その宇宙の舞台演出は完璧なのです!そしてすべてはイリュージョンなのです。
人をジャッジしたくなったら思いだしてください。
神様は私たち以上にその方を知り尽くし、愛し、導き、守っている、ということを。
そして、神様は私の髪の毛の一筋までもご存知であるということも。
いかなる体験も、それが成功に見えたり失敗に見えたりしても、いずれにしても必要な経験だからこそ宇宙は与えているのです。
そのプロセスに隠れる大いなる愛の意図を感じられるようになれば、すべてを微笑んで見つめられるようになります。
ジャッジなどナンセンスでることが真から理解できるようになります。
人をジャッジする暇があったら、自分に集中しましょう。
この広い宇宙の中で、変えることができるのは
自分の心だけ。
「裁くな」というイエスキリストの声が聞こえてくるようです。
今日は最後の聖書講義。
長崎まで全国から兄弟姉妹が来てくださいます。
長崎という町は、そこかしこにキリストの臨在を感じるところ。
きっと会場にイエスキリストが来て、
直接指導してくださいます。
私は、その祝福の水路になれたら幸せです。