赤塚高仁ブログ

バイバイ パラオ

2019.07.08

出国を待つパラオの空港で書いています。

56名の仲間とペリリュー島に来れたこと、
本当に嬉しいことです。
10年語り続けてよかった。
そして、
これからもずっと伝えていきます。

旅に参加してくれた大学生の感想をお読みください。

【パラオ・戦争について】

「土産はいいから土産話を楽しみにしてる」とリーズナブルに送り出してくれた皆さん、こんにちは。

パラオに行ってまいりました。
長くなりますが、皆さんは今日から「長文大好き人間」の称号を得たので、かじりつくように読んでください。

パラオがアメリカから独立したのは1994年、僕の生まれた年です。これからもパラオと共に歩み続けたいと思えるほど、この国が大好きになりました。

なぜ大好きになったか。
それはパラオの人たちから優しくされたからです。

なぜパラオの人たちが日本に優しくしてくれるのか。
それは日本の先人たちが、パラオの人たちに優しくしてきたからです。

パラオのペリリュー島は第二次世界大戦で激戦地となった場所です。初めて僕は戦没者慰霊をさせていただきました。実際に戦場となった場所を訪れて、汗だくになってジャングルを歩きました。こんな過酷な土地で日本兵は、2、3日で終わると予想された戦いを74日間も粘り徹底抗戦しました。1日でも長く戦い日本を守ろうという、その研ぎ澄まされた精神力を肌身に感じました。僕は熱中症になってしまい、ここで二ヶ月以上戦うなんて想像も付かないことだと思いました。

さらに日本兵はペリリュー島の人たちを戦争から守りました。「自分たちも日本兵と共に戦いたい」という旨を島民から伝えられたとき、現地の日本軍をまとめていた中川州男(なかがわくにお)大佐は、冷たく酷いことを言って、彼らをあしらいました。ショックを受けて島を離れる島民を、日本兵は温かく見送りました。酷いことを言って信頼を失ってでも、戦争に関係の無い島民を守りたいとという思いが、そこにはありました。

戦争はこわいものだと、日本も戦争していたなんて、と小さい頃に授業で学んでショックでした。戦争そのものは悪いことです。間違っていることです。でも知れば知るほど、ここで戦った日本兵が間違ったことをしたのか、という疑問を持つようになりました。自分の命を投げ打ってでも守りたいという思いは尊いです。悪いのは、そのために相手の命を奪わなければならない状況を生み出すことです。こんなに素晴らしい人たちを、こんなに哀しい戦争で散らすようなことは、これから二度とあってはならないと強く思いました。「戦争はあってはならない」、教わったとおりに覚えただけの意見、初めて自分から自分の意思で「戦争はあってはならない」と意見を持つことができました。

最後にセスナに乗り、美しく雄大なパラオを空から眺めました。日本を発つ数日前に、お酒の飲みすぎで思わず虹をかけた僕ですが、今回はしっかりとキレイな虹を納めることができました。パラオが歓迎してくれたんだと思います。

皆さんもぜひ、機会があってもなくても、パラオを訪れてみてください。絶対に後悔のない旅が、あなたを待っています。」

素敵です。
こんな風に若者が祖国を知ってくれることは。

やまとこころのキャンドルサービスは、
私のライフワークです。

来年もパラオツアーやります。
それまでしばしバイバイパラオ。

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