ベイト・ハティクバ
ログハウスを津市の住宅地の真ん中に建ててしまったのは、
私が33歳のときでした。
父の会社を継ぎ、社長となり、
ハウスメーカーの下請け会社から脱却したい、
だから、モデルハウスを建てて販売戦略を推進しよう、と、
銀行から融資を受けたのでした。
設計図もでき、建築確認の準備にも入りました。
ところが、
住宅視察のために訪ねた米国シアトルでみたログハウスに魅せられ、
買うことを決めてしまったのでした。
防火の問題で、日本では街なかに建てることは容易でないと知ったのは、
資材が送られてきた後でした。
「日常の中の非日常」
いつも私たちは何かのために、
目的のために走り続けています。
緊張し続けていると言ってもいいでしょうか。
そんなとき、
ふっと緩む瞬間に、私たちを生かすエネルギーが注ぎ込まれるように思えます。
ゆるむときとは、非日常の空間であることが多いのです。
だから、
人は旅に出ます。
目的も願いも消えて、ただ、生きていることが懐かしくなる空間が創れないだろうか・・・
そんな願いで建てたのがログハウス
「無目的ホール」でした。
26年経ってもウエスタンレッドシダーで組みあげられた丸太小屋は、木の匂いが新しい。
樹齢200年の木は切っても200年生きているからです。
糸川英夫博士も何度も訪ねてくださいました。
「誰でもの空間」に大勢の友がやってきてくれました。
キリストの集会も毎月開き、8年間、多い時には40名を超える参加者がありました。
私は、この「無目的ホール」に救われ、そして成長させてもらいました。
「ベイト・ハティクバ」(希望の家)と、名前を変えて、
ログハウスは生き続けています。
全国各地、世界中から友が来てくれる、
こんな幸せはありません。
33歳の私に会ったら、
「お前本当にすごいな!
よくログハウス建ててくれた」と褒めてやりたいです。
もしもあのころの私に会ったら、
あのころの私は、いまの私に何と言うでしょうか。
「苦労して頑張って生きたらだめだよ、
みんながダメだと言っても建てたじゃないログハウス。
目的なんて持たないで。
ただ、
仲間が集まって、楽しい時間が過ごせる空間が欲しいと願っただけで。
お金も、力も、理念も何にもなくても出来たじゃない。
誰が何と言っても、疑わなかったでしょ。
願って、決めて、歩きだしたら道が出来たよね。」
そんな声が聞こえてきます。
神さまを味方につけて、
残る人生も楽しませてもらいます。