ベイト ハティクバ
2016.12.19
ベイト ハティクバ 、ヘブライ語で「希望の家」
たくさんの人が集ってくださいます。
津市の郊外にある団地の真ん中に建っているログハウスです。
私が33歳のときに建築しましたから今から24年前の建物です。
新しい団造成工事の途中で、1番真ん中にある土地をお願いして分けてもらいました。
会社のモデルハウスにしようと計画していたものが、いつの間にか北米から丸太を輸入し、 65坪の丸太小屋を建ててしまいました。
できた当初は、「無目的ホール」と名づけ、オルゴールコンサート、落語の高座、ジャズのコンサート、絵画展、書道展、着物の展示会などなど様々な催しをしましたが、私は人が機嫌よく集ってくれる場所が欲しかったようです。
サラリーマン時代、新婚生活は、高松の小さな県営住宅で始まりましたが、
いつも誰かが訪ねて来てくれていました。
家具を片付けたスペースに布団を敷いて寝てもらってましたね。
そんな場所にでも人が来てくれることがどれほど嬉しいことか、身しみていました。
どれほど大きな家を作っても、誰もゲストの来ない家も多いのです。
けれども小さな場所であっても、人が集ってくれる。
何よりの財産ではありませんか。
寛子さんと、いつか人が来てくれる場所ができたらいいねと話し合っていたものです。
その夢が実現したのが、ログハウス「無目的ホール」でした。
糸川英夫先生もよく泊まりに来てくださいました。
いろんなジャンルの方々がきてくださいましたが、良い思い出しかありません。
私たちは古い家に住み、ずっとこの建物の借金を返済しつづけてきました。
ログには住まないと決めていましたから。
私が暮らせば、私の場所になってしまいます。
私は誰でもの場所、無目的の時間空間を願いました。
そこにいれば、来た人のエネルギーがチャージできる、
そんな場所を創りたかったのです。
私の人生をかけた実験場とも思えます。
「無目的ホール」の名前は京都の兄弟、デミチマサアキがブランドとして日本中に広めようとしていますので、建物の名前は「ベイトハティクバ」と変わりましたが、また様々な集いが開かれています。
昨夜も楽しい時間を過ごさせてもらいました。
年の暮れまで何組ものお客様があります。
幸せなことです。
来る人に楽しみを。
帰る人に喜びを。
どうぞ、笑顔持参で遊びに来てください。