世界の片隅で、「自分しかできない仕事」を
曽野綾子さんの産経新聞に連載されている
今朝の「透明な歳月の光」から、
「どの世界の片隅にも、
自分なら生きられる、もしかすると自分を必要としていると思われる場所があるはずだ。
そこに居場所を見つけさえすれば、出世するかしないかで悩むこともなく、中年になってかつての同級生と今の自分を比べて引け目に思うこともないだろう。
すべての人にとって、社会が望んだ仕事があるはずだ。
英語では「職業」という単語は普通「プロフェッション」と言うのだが、本当は「ヴォケイション」という言葉を使うべきなのである。
これは単に「仕事」という意味よりも「天職、召命、使命感」と言うような意味である。
つまり自分しかできない仕事が、人人生にはある、ということなのだ。」(引用ここまで)
それが何だかわからないから、
誰もが「自分さがし」をするのでしょう。
「何のために生まれて、
何をして喜ぶ、
わからないまま終わる
そんなのはいやだ」とアンパンマンも言っています。
でも、
自分しかできないことが、
人に聞いたり、探したりして見つかるのでしょうか?
たぶん、
答えなどないでしょう。
糸川博士は、飛行機に命を捧げて生きていたのに、
戦争に負けて、飛行機を作れなくなってしまったのでした。
絶望に、一時は自殺まで考えた糸川先生でしたが、
「頼まれごと」に生きているうちに、
いつしか天命に入れられてゆきました。
それが、
「日本とイスラエルを結び、世界を平安に導く」
というミッションです。
天命、天職、召命、使命
言葉なんかどうでもいい。
自分が願うことではなく、
自分に願われていることを生きる。
覚悟も
勇気もいらないのです。
来たものを
「はい、喜んで」と
受け止め
受け入れ
受けて立つ。
どの世界の片隅でも、
私の場所がある。
そして、答え合わせは、最期の最後で。