今という一瞬に、
矢作直樹先生のご著書は、ほとんど購入し、
熟読させていただいています。
どうしてこんなに大好きなのかは、
理屈では説明できないのです。
魂が喜んで、魂が震えるのです。
きっと、
過去生からのご縁なのでしょうね。
5年前に東京で一緒にお食事させていただいたとき、
「私は、かつて9回天皇でした。
そして、今世では天皇の主治医として生まれたのです」
と、言われました。
私は、
「どの天皇か覚えてらっしゃいますか?」と聞きました。
「はい」
と、きっぱり答えてくださった矢作直樹先生でした。
新しい本も最高に素敵です。
(引用ここから)
「今という一瞬に、一生の幸せがある」(廣済堂出版)
食べたいと思うものが、
自分に必要なエネルギーです。
好き嫌いや栄養に、神経質になる必要はありません。
多くの大人は、子どもの食事の好き嫌いをなくそうとします。
無理やり食べさせようとする親もいるようですが、私に言わせれば、
食事の好き嫌いなど放っておけばよいのです。
今、野菜が嫌いだったとしても、大人になるにつれ食べるようになるかもしれません。
いずれ自分の体が求めれば、自然に食べるようになる。
自分にとってそれが必要であれば、その通りになるのが人間の体というものです。
栄養学では、いろんな栄養素をバランスよく摂ることがいいとしています。
ある一定の精神状態や肉体状態において、これだけの栄養素が必要だという平均値はあるのですが、
全ての人がこの平均値に当てはまるとは限りません。
平均値とは、人間が頭で勝手に考え出したものに過ぎないのです。
(中略)
過食や糖分の摂りすぎはやめたほうがいいでしょうが、そうでない限り、
好き嫌いに神経質に為る必要などありません。
この10年間、まったく食べ物を摂っていないという人がいます。
「不食という生き方」(幻冬舎)の著者、秋山佳胤さんです。
彼は食べ物どころか、いっさいの水も飲んでいません。
それなのにどうして生きていられるのでしょうか。
彼はおそらく、プラーナを体に取り入れることで生きていると考えられます。
プラーナとは、空気中に存在しているエネルギーのこと。
これは見ようと思えば、誰にでも見ることができます。
この世界には、可視光では見えないエネルギーが充満しているのです。
これは西洋医学の常識では考えられませんから、
「そんなものは科学的に証明できない」と反論する人が大勢いることでしょう。
もちろん私は、そのような科学盲信者の人たちにあえて反論するつもりもありませんし、
信じられないのであれば信じる必要などありません。
ただし、この世界では、科学的に証明されているものなど、たかがしれています。
ほとんどのことは科学では証明されていません。
人間がいまだ知り得ない、数え切れないほどの存在。
そんな存在を単純に否定するのではなく、
あるかもしれないと受け入れてみてはどうでしょう?
そうすることで、常識に振り回されることもなくなると思います。
(引用ここまで)
聖書の中でイエスキリストが語ったことと何も変わらない珠玉のことば。