赤塚高仁ブログ

伝えたい〜伝える〜伝わる

2019.03.17

北海道聖書塾プレ講演、
120名の方に来ていただきました。
来月開講する聖書塾の入会も増えています。
主催の工藤さんの思いが伝わっています。

1年間東京聖書塾に、
北海道から通ってくれました。
伊勢に、パラオに、熊本にと、
共に旅してきました。
5月のイスラエルにも一緒です。

人生が変わる聖書漫談師の赤塚は、
こんな同志をつくって、
日本を変え、世界を変えます。

講演会でやまとこころを伝えたいと、
願っていますが、
伝えるということのなかには、
「伝えたこと」と、「伝わったこと」があります。
そのふたつは違います。

私がが伝えたことと、向こうに伝わったこと‥‥です。
何が伝わっているか、
いちばん陥りがちなのは、
「伝えたつもり」になることです。
それは、
私が本気かどうかにつきます。
伝えたつもりになっているときは、
本気度が足らないのです。

聖書塾も回を重ねるごとに、
参加者が減ってゆくとき、
どうして伝わらないのだろう、と悩んだものです。
それは単純に、
私の伝えたことは、みんなに伝わっていなかった。
私はただ、「伝えたつもり」になっていたんです。
そこから何度も、10回でも、20回でも、伝え方を変えていきました。
それが私の18年の経験です。

誰もやったことのない、
聖書漫談というジャンルを開拓しようと思うのも、
大切なことを、
多くの人に、
遠くまで伝えるためです。

「伝えたつもり」がいちばん恐い。
それは、死ぬほど本気で考えているところがないと、伝わらないのです。
「伝えること」は、自分の人間性を磨いていかないとできないと思います。
人としての魅力がなければ、
誰も来てはくれないし、
講演会の主催なんてしてくれません。

本気になることだけが、
人を磨いていくのかもしれません。
そして、
それだけが、人を成長させるのでしょう。

「がんばってます」なんて言ったってだめですね。
がんばってる「つもり」になってたら、そのまま10年、20年経ってしまう。
そこには成長はないし、
魅力的な人生はありません。
でも、
「本気」であることと
「重い」ことはかならずしも同じではないと思っています。

ニコニコ顔で命がけ

これが私の願いです。
だから、一瞬の強さのために
いつもひらりと軽くありたいのです。

サッポロはいい天気、
今日も生きてて良かった〜

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