凛とした日本人の生き方
2016.12.08
姫路の木南さまから贈っていただいた、鍵山秀三郎氏の新刊です。
「この日本を少しでもよい国にして次の世代に渡さなければ、
後世の人に申し訳が立ちません。
遠き慮りをもって些細な善行を積み重ねてゆく、
そのことに、
多くの人たちが意義と価値を感じ、
実践に努めていただくことを願っています。」
読み進めるにつれ、背筋が伸びてきます。
まえがきを紹介させていただきます。
「この秋は雨か嵐か知らねども 今日のつとめに田の草を取る」
八月の炎天下に、広い田んぼの中を這うようにしてただ黙々と草を取っていく作業は、
やったことがある人にしかわからない、苦しいものです。
照りつける真夏の太陽に、お風呂のように沸いた田んぼの水、そして稲のいきれ。
そんな苦しみに耐え、丹誠を込めて育てた作物が、収穫寸前の悪天候によってだめになってしまうこともあります。
私が少年時代、疎開先で経験したのは、まさにこの道歌そのままの生活でした。
どれほど働いたらどれだけの収穫が得られるかを問わず、目の前のことに骨身を惜しまず取り組む。
かつての日本人は、誰もがこうした経験をしながら、
自分の意に沿わない環境にも耐えて成長していく強さを培っていたのでしょう。
忍耐心とは、日本人の美徳の中でも特に際立つものであったと思います。
しかし、今の世の中はどうでしょうか。
何事も効率優先となり、いかに短時間でコストをかけずに利益を上げるかということばかりが追求され、
人間らしい「思いやり」などはどんどん隅に追いやられているようです。
「小さな努力」で「大きな成果」を得ることが当たり前になってしまったがために、
確実な成果が約束されないことには取り組めないという、弱い人間ばかりになってしまいました。
戦後の日本は、膨大なお金を社会につぎ込んできたにもかかわらず、
日本が今、よい方向に向かっていると実感する人はほとんどいないでしょう。
私は汚れきった世界で自分の人生を送りたくはありません。
生きるからには、正々堂々とした中で生きたいと思っています。
そのために、
「日本の悪しき世相を変えてみせる」という志を持って、
自分に関わりの持てる範囲から、小さな実践を積み重ねてきたのです。
その一つが掃除の取り組みです。
「こんなことをやって何になるんだ」と人様から嘲笑され、反発されたものでした。
しかし、今では多くの仲間が現れ、全国各地、そして海外にまで活動の輪が広がっています。
つい先日も、そうした有志の方々の呼びかけで、都心から羽田空港へと向かう国道357号線周辺の草刈りと掃除を行いました。
4年後の東京五輪で来日する人たちも大勢通る大幹線道路です。
しかし、家庭ゴミから粗大ごみまで様々なゴミが散乱し、道端の植え込みも、
本来の植栽が何であるのかさえわからないほどに雑草が生い茂っている有り様です。
沿線には有名企業が拠点を構えていますが、目の前の草やゴミすら放置したままです。
この惨状を、自分たちの手で何とかしようという人たちが立ち上がったのです。
街がきれいになると、そこに集う人たちのマナーもよくなるものです。
美しい心の人々が暮らす美しい街づくり、これこそが「おもてなし」の第一歩ではないでしょうか。
外国から訪れる方々は、美しい街に住む日本人を信頼してくれるはずです。
反対に、ゴミが散っていて草が生い茂る街に住む日本人は、信頼されないと思います。
私は今、凛として生きた先人たちの姿を思い起こし、
日本の国を再び世界中から称賛されるような国にしたいと願っています。
今のような日本の国であれば、後世の人たちに申し訳が立ちません。
崩れかけた日本人の美徳回復のために、
そして美しい日本を取り戻すために、私たちは今、いかに生きるべきか。
心ある人たち、一人ひとりの行動によって、今の世の中が浄化されていくことを願ってやみません。
平成28年10月 鍵山秀三郎 」
一人ひとりの行動によって!
「知ってる」
「それできる」といくら知を増やしたところで、不平と不満が増えるだけでしょう。
一人ひとりの行動によって!!
鍵山さま、行動だけがすべてを解決することを、改めて心に叩き込みます。
ひとり変わる、
世界は光る