北九州聖書塾
2017.12.16
小倉の朝です。
今日は10年間五十鈴川に入って、禊をしてきた日ですから、
駅前のビジネスホテルのユニットバスにお水を張って、禊をしました。
さすがに、冷たい。
でも、霊性の目覚めにはありがたい儀式です。
さて、今日から2日間
小倉での聖書塾。
聖書をもったことのない日本人に、聖書を伝える。
まるで
フランシスコザビエルです。
でも、私が届ける「ヤマト人への聖書」は、
キリスト教の伝道ではありません。
イエスという人類史上最大のスーパースターの秘密に迫ります。
聖書は、そのまま読んでもわかりません。
そこに込められた、聖霊の愛の結晶の香りを感じることです。
30年間、イスラエルに通い、
現場で足の裏で体感しながら読んできた聖書です。
それをお伝えするのです。
だから、
教会で牧師先生が話す「神学」とは違うはずです。
(私は教会に行ったことがないのでわからない)
神と人間
この「分離」を解消しなければ、
いつまでたっても宗教戦争は止みません。
イエスは、
私たち一人一人が「神の宮」であると言っています。
私たちが神殿です。
だから、私たちは自分の宮を浄めるのです。
神と私たちは「ひとつ」です。
そして、すべては「ひとつ」です。
その元に帰るのです。
何かに「なる」のではないのです。
知るのではなく、
持つのでもなく、
命を生きるのです。
さて、午後の塾のまえに久留米の友を見舞ってきます。
では、いってきます