赤塚高仁ブログ

言葉は選ばなければならないけど、思いやりも持ちたいこと

2017.04.26

今村復興相が東京のパーティで「大震災東北でよかった」と言ったといって、辞任に追いやられました。

「皆様のおかげで東日本大震災の復興も着々と進んでいる。社会資本などの既存もいろんな勘定の仕方があるが25兆円と言う数字もある。これがまだ東北であっちの方だったからよかったけど、これがもっと首都圏に近かったりすると莫大な甚大な被害があったと思っている。おかげさまでいろんな道路であるとか住宅の高台移転など着々と進んでいる。本当に皆さんのご支援のおかげと言うことで、改めて厚く御礼を申し上げる次第だ。」

首都圏だったら途方も無い被害を受けたに違いない。
備えなければならない。
本当に東北の方々にはご苦労をおかけしているが、国家あげての復興に邁進する。

と、いう意味だと普通のアタマの人間ならわかりそうなものです。
それを、東京でのパーティーでのスピーチでこんな風に話した一部を切り取り、その言葉を揚げ足取りをする。

マスコミが意図をもって大騒ぎをし、中日新聞には
「うかつでは済まない」
「やめても発言消えない」
「復興のトップが残念」

今村大臣に対して世界中が敵に回ったような集中砲火を浴びせかけています。
産経新聞にももちろん記事は載っているけれども、小さな囲みで「災害どこで起きても良くない」と言う記事を書いています。

人の前で話す以上、しかも完全にマークされている所だから、揚げ足を取られないようガードし、言葉を選ばなかったのはうかつと言えばうかつでしょう。

でも私には目くじらを立てて怒るほどの文脈とは思えません。

復興大臣が国を思う心がない人だとは思えませんし、都心部でなくて良かったと言うことを言いたかった位、大人ならわかるものです。
揚げ足を取り、悪しき様に叫ぶ、これはまるで小学校のいじめですよ。
誰々ちゃんが何かゆうた〜誰々ちゃんが言った〜、そうだそうだと大勢が騒いで1人を血祭りにあげる。
いったい日本はいつからこんなに幼稚な国になり果ててしまったのでしょう。

ネットでは顔の見えない人たちが誹謗中傷のネガティブな文言を垂れ流す。
やはり誰もが幸せでないからなのでしょうね。
今の自分を生きていないから、不平不満症候群なのです。

本当に今幸せ私なら人を貶めることなど考えようともしないでしょう。
今村大臣は復興相を辞任するそうですけれども、
もう誰も何も言えなくなりますね本当のこと。

友人の医師が、病状の説明をするときに録音をしている患者さんが増えたと聞きました。
もしもの時に訴えるためだそうです。
治るからがんばりましょうと言って治らなかったら訴える。

それでは人を勇気づけることもできません。
大丈夫だしっかりせよ、と、
死にそうな人に向かってそう声をかけるのは私は嘘だと思いません。
これこそ人間の美しい思いやりの心の1つと私は考えています。

そういえば、舩井勝仁さんから、
「赤塚さん先週号の週刊朝日にとうとう名前が上げられましたね」と聞かされましたが、もう新しい号になっているので先週のはわかりませんが、人を実名で掲載しながら、一言の連絡もしない朝日新聞とはどれほど非常識な失礼なマスコミなのでしょうか。

おそらく教育勅語のバッシングのために私の本を叩いてくれたのでしょう。
もしブログの読者の方で、先週号の朝日週刊朝日をお持ちの方があれば、コピーして見せてください。

相手に対する思いやりが政治家にもなかったのかもしれませんが、それをよってたかって騒ぐ姿はまさにキリストイエスを十字架にかけようと騒ぐ民衆のように見えます。

裁くな、それは裁かれないためである。
とイエスは言いました。

私は本当にその通りだと思います。
長い話の中の一言をとり出して揚げ足を取るよりも、
その相手が本当に何を思って話しているかと言う大切な部分を心寄り添いながら対話することを忘れずにいたいものです。

それが、愛です。

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