古事記の神さま
今野華都子姐さんの「古事記」を持って、ちょっと松阪まで行ってきました。
私が住んでいる津市から30分くらいで着きます。
となり町です。
津は、なんとなくのんびりした、のほほんとした空気の町ですが、
松阪は、ピリッとしている商人の町ですね。
城主が近江出身、近江商人を呼び寄せて商業を活性化させたからですね。
三井家も松阪です。三越、マツサカヤ、など名前も残っています。
そんな商人の町で、
日本の歴史に名前を刻むのが、本居宣長先生です。
宣長先生が「古事記伝」を著してくださらなかったら、
私たちは今、古事記が読めません。
感謝してもし切れないほどの偉人です。
「宣長先生! 日本にとうとうこんな素晴らしい古事記の本が出ました!!
どうか天上から支援してください!」
と、お願いに行ってきたのでした。
宣長先生、とても喜んでくださっているような気がしました。
さて、
華都子先生の「古事記」は、八百万の神さまが、とても丁寧に記されています。
すべての神様にルビがふってあるので、声に出して神様の名前をお呼びすることができます。
これはとても大切な音霊となることでしょう。
日本には、海を割るような派手な神様は出てきませんし、
子どもを生贄に差し出せと言うような神様ではありません。
日本の神様は、困ったことがあると集まって話し合います。
うまくいかないこともあります、神様なのに。
でも、
また集まって、知恵のある人は知恵を出し、踊りのできる人は踊り、
力のある人は力を出す・・・・
そうです、
議会民主主義です。
だから、特別な人は出てきません。
悩み苦しみ、でも、
みんなで力を合わせて、和するこころで助け合う、
これが感謝の国の姿です。
ウシハク世界の人々は、「エベレストを征服した」「砂漠を征服した」と言います。
我が国ではそんなふうに言いません、
「登らせていただいた」と言います。
エベレストもヒマラヤも、怒ったら人間なんて軽く吹き飛ばしてしまいます。
たまたま条件がよく、運よく登れたのです。
ほんのわずかの人が、やっとのことで上がらせていただいたのです。
それを、
「征服した」などというのだから、山も自然も怒って荒れます。
日本人は、「山の神」といって手を合わせます。
私たちが家を建てるときにも、
「地鎮祭」をします。
その土地に神様がいらっしゃるからです。
その神様に
「ここに家を建てさせていただきます」
と、挨拶するのです。
挨拶もなしにずかずかと乗り込んでゆくような無礼を働かないのが、
和する国の民です。
西洋では、悪いものを追い払うような儀式をします。
私たちは、万物に神が宿る、森羅万象が神そのものだという祈りの国に生まれました。
素の智慧を祖先が、命がけで子孫に伝えた神話こそ「古事記」です。
私が、全国各地で「聖書塾」を開いているのも、
キリスト教を広めるためではありません。
聖書を知ることで「古事記」がわかるということを伝えるためです。
魚に水が見えないように、
鳥に空気が見えないように、
日本人に日本が見えません。
改めて、今野華都子姐さん、
国の宝とも思える、素晴らしい「古事記」を書いてくださって、
心の底から感謝申し上げます。