商然隊
四国でサラリーマン生活をしているとき、
もう会社を辞めようかと思うことが何度でもありました。
そのたびに、夜、高知まで車を走らせて桂浜まで行きました。
「小さなことでくよくよしとっちゃいかんぜよ」
・・・そうですね、龍馬さん、小さなことですね・・・
こんな私の悩み・・
桂浜の浜辺にすわって、太平洋に向かう龍馬さんの銅像を見上げ、
自分も太平洋を見ているうちに、心が大きくなってゆきました。
明け方高松に帰ってきて、また会社に行くのでありました。
当時は、四国に高速道路はなく、
高松から高知まで大歩危小歩危を通り、3時間はかかりましたね、片道。
「愛国」という言葉も自分の中に生まれてくるはるか前の、
20代の青い時代でしたが、それなりに一所懸命生きておりました。
会社の若い仲間や、他社の友達とともに、何かを変えようと会を立ち上げました。
「高松社中」という名前です。
もちろん坂本さんの「亀山社中」にちなんでの名前です。
第一回目の集まりは、高松市田町の料亭「早蕨」
お酒がすすむ、話が盛り上がる、夢を語る、そんな中で、一人の先輩が、
「赤塚くーーん、
ぼくらも幕末に生まれとったら、
面白かったやろね。
現代では、なんちゃできんけん」と言いました。
赤塚くんは、若かった。
「何言うとるん?
あんたなんか、その頃生きとってもドン百姓じゃわ!
そんなサラリーマン根性でどうするん」
と、サラリーマンがサラリーマンと喧嘩して、
高松社中は、一回の会合で消滅しました。
やがて、赤塚は退社して三重に戻り、
若手の経営者を集め、経営や心の勉強をする会を立ち上げました。
商売に燃える部隊
「商然隊」しょうねんたいの誕生です。
例会会場を探して、公民館を貸してもらいに行ったら、
「子供会ですか?」と聞かれるので、
「いいえ、商売に燃えると書くのです」と、説明すると、
「ああ、ガス屋さん?」・・・
赤塚高仁29歳、商然隊隊長。
その勉強会で出会った鬼太鼓座のマネージャーが、
「赤塚さん、糸川英夫博士の家でやってる勉強会に出ませんか?」と声をかけてくれて、
私は、作務衣をきて新幹線に乗り東京に向かったのでした。
7月23日のことでした。
わかりません、何が待っているのか。
わからないから行くのです。
それが冒険です。
わかってから行くのは、「パッケージツアー」
当たるのがわかっていたら、誰でも宝クジ買いますよね。
そんなことしてどうなるの?
自分でもわからないのです。
わからないから行くのです。
それが人生です。
その日一緒に行った商然隊隊員の一人は、
「そんな有名な大金持ちに会えるなんてすごい」と、ついてきたのですが、
あとで聞くと「糸山英太郎」と間違えたそうです。
彼は、糸川英夫宅に泊めてもらいながら、ずっとがっかりしていましたね。
私は、それから東京に通うため、青年会議所もやめ、
すべてのエネルギーを注ぎ、糸川英夫の弟子となりました。
運命が変わる時、人と出会う。
人生が根っこから変わる出会いがある。
高松社中も商然隊も笑い話のようなものですが、
動いた分だけ人生が運ばれました。
人生は旅ですね。
そして、旅はどこに行くかも大切ですが、
誰と行くかはもっと大事。
よい旅を、
今日は海の日です。
心はいつも太平洋ぜよ!
龍馬さんの声がいまも聞こえます。