国が滅びるとき
死海のほとり、
高さ450メートルの岩山
自然の要塞
マサダに登るのは20回を超えました。
西暦65年イスラエル
ローマ帝国に対するユダヤの反乱が起こりました。
5年間の抗争の末、西暦70年エルサレムは陥落。
神殿は破壊され、ユダヤの民はローマ兵に虐殺されます。
生き延びた約千名の熱心党の人々は、死海のほとりマサダに立て籠もります。
ヘロデ大王が作り上げた自然の山を利用した要塞です。
数年分の水と食料があり、孤立した岩山ですから容易に攻めることはできません。
ローマ軍は3年の歳月をかけて、地上450メートルの要塞に向けて道をつけます。
世界最強のローマ帝国の土木技術はすごい。
しかし、そこで奴隷として働かされているのは囚われたユダヤの民。
マサダに立てこもった熱心党たちも最後には攻撃を諦めます。
同胞が犠牲になるからです。
いよいよ明日はローマ軍が攻め入ってくるであろう日に、
最高司令官エリエゼル・ベン・ヤイールは男たちを集めて演説をします。
「神に選ばれた誇り高きユダヤ民族が仕えるのは、
唯一絶対なる想像主、アブラハム、イサク、ヤコブの神だけだ。
捕らえられ、
異邦人であるローマの奴隷になり辱めを受けるより、
ユダヤ民族としての誇りをまもって自決しようではないか」と
男たちは家に帰り、家族を殺し、
再び集合してクジ引きで10名の男を選び、
その10名が残りの男を殺す。
最後に一名を選びだし、その男が9人を殺し、
最後に自分が死ぬ。
ユダヤの律法により自殺は許されないのです。
最後の一人も剣を固定し、そこに突っ伏し死にました。
翌日3年間の鬱憤を晴らそうと乗り込んできたローマ軍がみたものは、
数年分の食料と水、山積みにされた武器、
そして、真新しいユダヤ人の死体。
息を呑む光景でした。
これらのことは、水飲み場に隠されていたのを発見された、
2人の女性と5名の子どもによって伝えられました。
イスラエルはマサダを最後に国がなくなり、
ユダヤ人は流浪の民となりました。
時は流れ、
2000年経って、
イスラエルは再び建国されました。
イスラエルは18歳になると男も女も兵役があります。
その入隊式はマサダで行われます。
なんのためにイスラエルは軍隊を持ち、戦うのか。
「それは、マサダの悲劇を2度と繰り返さないためである。」
国を失って2000年間流浪の民となったユダヤ人からの伝言です。
「マサダの悲劇を繰り返してはならない」
そして
「忘却は流浪を長引かせ
記憶は贖いの秘訣である」
この地でマサダの物語、
国を失うということがどういうことなのか、
語っているうちに、私のすぐそばに糸川英夫博士を感じます。
一人でも多くの日本人に、マサダのことを伝えてくれと糸川先生は言われました。
当たり前は、ありがとうの反対。
国があるのは当たり前ではありません。
祖国を守ることは、
生まれた町を愛し、
家族を大切にすることと同じことです。