赤塚高仁ブログ

富屋食堂

2018.06.10

特攻隊員の母として、
まさに我が子のように若き兵士を愛した、
鳥浜トメさん。
トメさんが営む富屋食堂は、
軍の御用達食堂となり、
特攻隊員たちは残り少ない人生をトメさんと過ごしました。

「わたしは、みんなのお母さんになりたかったの・・・」

「お母さん、ぼくの生きたであろう人生をお母さんにあげるよ。人生50年というけど、ぼくは二十歳そこそこで死ぬからずいぶん残りがあるさ。だから、お母さんぼくの分まで長生きしておくれ」

戦後、富屋食堂は富屋旅館となり、
知覧を訪ねる人々にトメさんは特攻隊員のことを語り続けました。
富屋旅館に泊めていただきました。
貸し切りでしたから、
女将からたくさんの話も聞きました。

食事をした場所は、
特攻隊員が最後の晩餐をしたところです。
柱が、壁が、
彼らの涙を、笑顔を覚えています。
島仁さんもそこにいたことでしょう。

知覧の平和記念館にはたくさんの遺書が残されています。
何年か前に、1日かけて全ての遺書を読んだことがあります。
ときどき涙で景色が曇って、字が読めなくなりました。

どの手紙も綺麗な文字で、
自分の命に代えても守りたい大切なものへの愛が綴られていました。
運命を呪ったり、
相手を憎んだり、
ましてやリベンジや復讐せよなど、
一言もありません。
残してゆく大切な人たちの幸せをただ祈る。

この美しさがやまとこころです。

一方的な命令で命を奪われた可愛そうな人たち、
そんな風に言う人があります。
なんと気の毒な考え方でしょう。
命に代えても守りたいものがある、
それほど大きな愛はないのです。
人間のみに与えられた崇高な境地です。

一つしかない命を投げ捨てて
散っていった若者たちのこと・・・
忘れてはならないのです。

特攻記念館で講演させていただけたことの栄誉に感謝します。

私は、語り継いでいきます。
英霊たちのことも、
トメさんのことも、
美しい祖国日本のことも。

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