赤塚高仁ブログ

山内尚子という編集者

2016.11.16

山内尚子さんと初めて出会ったのは、3年前?

六甲山は瀬織津姫の磐座でした。
ずいぶん前から知ってたようですが、思い出してみるとほんの少し前に出会ったのでした。
でも、今では私の人生になくてはならない大切な友達です。
勝仁さんは、自分の本は山内さんのところからしか出さないんだと言っていました。
その時にはよくわかりませんでしたが、今ではとてもよくわかります。
編集者としての山内尚子さんは、神がかっていると私は思います。
そんな尚子さんに 3冊の本を作ってもらえたことを幸せに思います。
そしてもう1冊、教育勅語をまとめあげて聖なる約束シリーズの第4弾として出させてもらう準備をしています。
尚子さんのブログから少し引用します。
「なおこブログ

 

舩井フォーラムの最後と

先日の京都の

『聖なる約束3 黙示を観る旅』

出版記念講演会で

朗読をしたのだけど

最初が

聖書の創世記から始まるのです。

 

なぜ創世記を読んだのか

それはぜひ

『聖なる約束3 黙示を観る旅』

お読みいただければと思いますので

お読みになってみてくださいね。

 

で、そうするとね。

こんなことをおっしゃる方がいたんです。

 

「なおちゃん、なぜ聖書なんか読むの?

やまとの神話のほうがすばらしいのに」

 

?

 

『日月神示的な生き方』ができた時には

「あれは聖典なんかじゃないよ」という

お声もいただきました。

 

??

 

たしか『美しく生きる』ができた時には

古事記は時の為政者によって

内容を歪められてるとのお声が。

 

???

 

さて、これから「教育勅語」のご本を

お手伝いするのだけれど

いったいどうなることやら......。

 

これは私の想いなのだけれど
著者様が

聖典かもしれないし人物かもしれないし

なにがしかのメソッドかもしれないし

ご自身の経験かもしれない

そこにたしかな光を観て

それを私は感じて

だからこそ

その光を言葉に落として

皆さまのところにお届けしたいと思い

ご本を創らせていただいているのです。

 

もちろん

どっちが新しいとか古いとか

優れているとか劣っているとか

正しいとか正しくないとか

まあ、どれも人の手を通っている以上

そういうことも

あるのだろうとは思います。

 

だから当然

礼讃したり

依存したりではダメだし

そういうところを見つけて

冷静に指摘してくださるのは

いいのかなと思うんだけどね。

 

でも、わざわざ言ってこられる方って

ほとんどがたぶん、

これがいちばん大きいと感じるのよ。

 

自分の想いとか感性とフィットしない。

 

自分にリスペクトしているものがあって

それと違うものを

下に見る、比べる意識が働いている。

 

ひとつを深く追求することは

とてもすばらしいことだと思うのです。

 

だけど

ほんっとうに追求されている方は

他と比較なんてされない。

 

むしろその良さを

きちんと見つけられ

活かされているように感じられます。

 

私は赤塚さんに教えていただくことで

聖書や古事記や教育勅語

というよりも

大和とユダヤの民族に流れる

同じ光を

違和感なく共有することができたと

感じています。

 

その赤塚さんは『日月神示的な生き方』を

読んでくださって

あまり好きではなかった「日月神示」に

光を感じてくださった。

 

もちろん、あなたと私が違うように

その光の色も違うけれど

 

そして、私やあなたが

日々のなかで淀み

時には闇におちて

クリーニングの必要があるのと同じで

時代の流れの中で

その光にいろいろな汚れがついている

場合もあるけれど

 

でも、私たちに向けて

残してくださった言葉たちの

根底に流れる愛は

間違いのない真実だと思う。

 

そうして

光と光が

場所や時代を超えて

いま実体をもって生きる私たちと

接点を持ち

化学反応を起こし

浄化され研ぎ澄まされて

本質へと向かう大きなエネルギーが

生み出されていくことが

これからの世の中を変える

大きな渦になっていくと思うのです。

 

もちろん

ドンドン知識情報ばかりを集めて

それで満足しているようでは

そんな化学反応は起こりません。

 

あなたは無力なんかじゃありません。

あなたから

行動や生き方を変えていくのです。

(私はいつも「あなた」を「わたし」に

置き換えています。そこで謙遜するのは

謙虚ではないと思うから)・・・引用ここまで」

自分のような者が能書きたれてどうなる、

と潰し屋がやってきたり、

誰もわかってくれないと、犠牲者ぶったり、

もうやーめた!と心の中で子どもが騒ぎ出したり、

しながら、

私の人生の一つの区切りとなるであろう

教育勅語の本、書いてゆきます。

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