帰ってきた聖書漫談師
イスラエルから帰りました。
成田空港に夜着くので、
新幹線で三重まで戻れません。
東京泊で、帰り
ただいまーー
と、荷物を置いて
スーツに着替えて、
名古屋聖書塾に向かいます。
再び日本での活動が始まりました。
元気いっぱい駆け抜けます。
近鉄特急の中で、
このブログを書いています。
ずっとスマホの画面の中に、
アタマは入ったままです。
日本にいると、
気がつくとスマホをいじっています。
誰かからメッセンジャーやラインがきてないやろか?
フェイスブックに「いいね」は押されてるやろか。
誰かと一緒にいるときでさえ、ふとスマホに気持ちを奪われてしまいます。
状況とはお構いなくかかってくる電話。
その瞬間、意識はもっていかれてしまいます。
家で食事をするときも、
私たちは、
どれほど「ここ」に「いる」でしょうか。
多くの場合、体はそこにあったとしても、
意識はいろんな所に飛んでしまっています。
ほとんどそこにいません。
今
目の前の人と向き合って、いまここの時間を大切にし、そこに自分の意識の全てを注ぎたいものです。
どの瞬間もそうでありたいです。
コンビニで支払いするときも、相手の目を見て微笑み、そこにいたいと思います。
よそ事を考えながら何かをするというのは、
そこに自分がいないことでもあります。
それは過去や未来に飛んで行ってしまう「思考」も同じ。
エネルギーがじゃじゃ漏れになってしまいます。
でも、ここにいれば、エネルギーが生まれてくるはずです。
パワースポットに行ったり、
お参りにいかなくても、
未来の不安の海に行かず、
過去の後悔の穴に落ちず、
今 生きていることに気づければ、
私たちのエネルギーは立ち上がります。
「私は今、(パッパヤッパ〜〜)
生きているぅ」
と、魔法の呪文を唱えましょう。
きっと17歳の精気がみなぎるでしょう。
歩きスマホはやめて、景色を眺めてみましょうね。
昨日と違う、明日でもない、
今がここにあるから
と、スマホでこのブログを書くワタシ
今日の聖書塾は、サムエル記
ダビデ王のこと、学びます。