幸せと不幸せ
かつて、
私は不幸せだらけの人生を生きていました。
また、
不幸せを次々と生み出してもいました。
「不幸せそうな人」も
まわりにたくさんいました。
「不幸せな状況」にどう対処するか、
と絶えず考えていました。
今わたしは思います。
この宇宙に「不幸せ」という現象は存在しないのではないかと。
宇宙は、ジャッジしません。
無条件です。
ただ「あることがあるだけ」
それが「不幸せ」になるのは、
「不幸せ」という現象が存在するのではなく、
私の中に、「不幸せ」だととらえる反応パターンがあるということです。
「不幸せそうな人」がいるのではなく、
その人を「不幸せ」ととらえる自分。
「不幸せな状況」ではなく、
その状況を「不幸せ」ととらえる自分。
外側でなく、内側に幸せがあることに意識を向けましょう。
幸せに光を当てることが、私たちが今すべきことのように思えます。
不幸せに思える私の今を、
幸せととらえる大切な学びの日々へと変えて、
今日一日を確かに生きてゆきます。
二度とないかけがえのない、今を平安に
来るものを喜べる私に。
この文章は、
いまさっき書いてアップした
アメブロの
「問題と課題」
という文章の
問題を不幸せに
課題を幸せに
入れ替えただけのものです。
両方読んでみてください。
宇宙はジャッジしない
神さまは常に無条件で愛してくださいます。
ところで、
志村けんさんが亡くなりました。
フェイスブックにたくさんの追悼メッセージがあがり、
様々な写真がアップされています。
改めて、
良いお顔をされているなぁと
思わせていただきました。
生き様や人柄は顔に出ます。
まさに、
男の顔は履歴書ですね。
ドリフの番組のあと、
新聞にヒステリックな投書が載ったものです。
「食べ物を粗末にするな
下らない下品な番組は教育によろしくない」
子どもながらに私は思ったものです。
「テレビにチャンネルもスイッチもある。
イヤなら見るな。」
と
志村けんさんが教えてくれました。
「一切の選択権は私にある。」
幸せに光をあてて、
いま
ここ
自分を生きる