赤塚高仁ブログ

幸せな仕事

2019.03.04

 理科系の苦手な子どもだった赤塚高仁は、
結局工学部に進学できず、明治大学の政治経済学部経済学科を卒業しました。

飛島建設というゼネコンに就職するのですが、
「技術屋」ではなく「事務屋」としての採用ですから、
営業職として四国支店に配属になりました。

 接待、ゴルフ、麻雀、談合・・・
心の中の違和感が解消できず、心を病んで5年で退職・・・
三重に戻り、
父が創業した工務店に就職するも、
量産ハウスメーカーの下請けとして工事店を続けてゆくことに希望が持てず、
うつ病が悪化。
自殺未遂の上、精神病院に一か月入院させられることになりました。

 人生の最悪の状況だと思え、
絶望のどん底だと感じていました。
しかし、
あのときがなければ、今の私の幸せはありません。
闇に降りて、光を生きることは出来なかったでしょう。
まさに、
変容の前に危機が先行するというのは、普遍の原理です。

 良い学校を出て
 良い会社に入って、
 結婚をして、
 子どもが出来て、
 人から羨まれることが幸せ

そんな何処かの誰かが創った幻想を追い求め、
外側に答えを求め続けて、悩み続けた日々でしたが、
私が生まれたのは、私が私を生きること、と気づいた瞬間から、
人生が新しくなりました。
それまでの一切が有難い恵みとなりました。

まったく嫌で仕方のなかった建設業を、
私にしかできないやり方で運営するために、
父から経営を譲ってもらったのが30歳の時でした。
30年間建設会社の社長として生きてきたわけです。
何度も倒産のピンチが訪れましたが、
「なんとかなる」
と、信じていると、不思議に助け手が現れて救われてきました。
まさに神さまに触れたのは宗教ではなく商売の現場でした。
社長業をしていなければ、
神さまに出会うこともなかったのかも知れません。

 3/2土曜日
ちょうど20年前に開発した私の人生でも革命的な事業、
「定期借地権」の家を最初に契約してくださったKさまファミリーが、
会社に来てくださいました。
新築時にお腹の中にいたベイビーが高校を卒業という報告も兼ねて。

 「改めて、赤塚社長にお礼を言いたくて来ました。
 あのとき、
 あの家に住むという決断をして、
 今日まで本当に幸せな暮らしをさせてもらえたこと、
 ありがとうございました。
 娘もこうして素晴らしい子に育ちました。
 ありがとうございました。」

奥さまも

 「赤塚さん、
  改めてお礼が言いたくてきました。
  本当にお忙しいのに時間を作ってくださって
  ありがとうございます。
  あのとき背中を押してくれてありがとうございました。
  きちんとお礼を言わないと、
  私、人として筋が通らない気がして」

当時、私は40歳
糸川英夫の人生のテーマ
「前例がないからやってみよう」を自分なりに実践するチャレンジとして、
当時三重県で誰もやったことのない
「土地を買わないで借りて、世界標準の街を造る」という、
定期借地権を事業化しようとしました。
しかし、
誰も知らない新しい試みに、世間は冷ややかでした。
ただ、私は熱く語り続けました。
「同じ価格で、2倍のグレードの住空間を手に入れるために、
 土地にお金をかけるのはやめよう。
 美しい家のデザインとランドスケープに投資してください
 世界標準の家に住もう」と。
ロサンゼルスの一流デザイナーと契約して、デザインしてもらうためには、
最初にデザイン料として1万ドル(100万円)を支払ってもらう必要があります。
日本のハウスメーカーはハウスデザイン料はタダ。
無料で家の設計をします。
(もちろん契約後の住宅の価格には乗せられてきますが、
自分の家の設計料だけでなく、契約しなかった人たちのコストまでも乗せられることになります)

土地を借りて家を建てる
デザイン料を最初に100万円払う
赤塚建設という無名の小さな会社
しかも、
契約時点では商品はこの世に存在していません。

 Kさんは当時25歳、赤ちゃんを抱いてお腹の大きな奥さんは23歳
「赤塚さん、その家を私たちに造ってください。」
と、実印を押してくれました。

 技術屋でもありませんし、
起業家でもありませんが、
出会った人を喜ばせたいという願いは強くもってきました。

 30年間の社長業を通じて思います。
まごころがあれば、なんとかなると。

 家というモノを売ってきたのではありません。
家族が幸せになるための空間を創造してきたのです。
そこで過ごす家族の時間が歴史となり、その家が、その街が、
子どもたちの「ふるさと」になるのです。

私が建てさせていただいてきた家に住まってくださるファミリーの平安を祈ります。
毎年奥様のバースデーにメッセージを送るとき、
どうぞ幸せにと全社員一人ひとり祈りを込めてメッセージを書かせていただいています。

 良き出逢いのなかで生かされ、育てていただいてきた30年。
そんな感謝の中で、会社に来てくださったKさまファミリー。
まさに神さまです。
お礼を言わなければならないのは、私の方です。
Kさんが現れてくれなければ、私は挫折したかもしれません。

 私が私でいいのだと認めさせてくれたのは、
この世と関わる「商売」を通してでした。
幸せな仕事があるのではなく、仕事を幸せにすることが、
人間が生きている意味なのかも知れません。
だから、
いつも喜んでいましょう。
そして、
絶えず祈っていましょう。

 世界は美しい

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