幸せになる魔法
私の講演会で、
「四つのお願い」をしています。
このお願いを聞いていただけないと、
講演会は始まらないのです。
北海道から沖縄まで、
いまのところ聞いてもらえなかったところは、
ありませんでした。
よかった。
あ、「四つのお願い」が何かは、
講演会にきて確かめてくださいね。
でも、それは 講演会のためというよりも、
いつでも
どこでも
幸せになれる魔法なのです。
その四つのお願いの三つ目に
「笑う」
があります。
みなさんに言うのです、私。
「面白いから笑うのは素人です、
面白くなくても笑うのがプロ。
そして、
わけもわからず笑っているのが達人よ」と。
「どう喜ぼう」
「どう面白がろう」
と思って、過ごせれば、 こ
の世は天国になります。
まじめに、深刻に生き始めると
面白いことを見落としてしまいます。
なぜなら、魂は、本来「陽気」だからです。
「窮屈に感じている」とき、
魂は喜んでいません。
自分の中に、正しいという、しばりを作ってしまっていて、
「ねばならない」が自分を苦しめます。
いいことをしよう、
いい人になろう、と考えても、
人から取り入れたものは、自分から湧いたものとは違うので、
なんとなく違和感を感じてしまいます。
人のお話や、特にいい話や生き方を聞いたり、見たりして、
「この通りにしよう!」と思ってやっていて、
もし、しんどくなったらやめたほうがいと思います。
きっと、講演会でいいこと話す人だって、
ずっとそんな風に生きているわけでなく、
実はくだらないエロオヤヂだったりします。
はい、 私がそうです。
だから、
いいこと言う人をすごい人にせず、
その人をすごいと思えた自分のことをすごい!とほめましょう。
でも、
「そうかー!」と
腑に落ちて、誰になんと言われようと
「やりたい」が湧くとき、喜びの世界への旅が始まります。
天の願い
と
自分の思い
この両方で自分の人生を生きるわけです。
天の願いは大事ですが、それを深刻に取り過ぎて、
そう生きようと、まじめに深刻に暗くなるより、
「自分は自分でいいのだ」と
笑い飛ばしている人を神様は愛するような気がします。
なぜなら、「正しい」ことを生きようとして 苦しそうな姿で、
ときに人をさばく人は、まわりを暗くするからです。
「神様はこうだ!」と理を説くときに毒を吐く人もあります。
それを神様はよろこばれるでしょうか。
ちゃんとしすぎない、真面目に自分を追い込まない、
自分の中の決め事で不自由なら、それは神様はお喜びにならないなぁ、と、
私自身も、自分をいましめております。
小さなことに喜びを見つけましょう。
誰かが機嫌とってくれるのを待つ、子供の影から解放されて、
自分で自分の機嫌をとる、自分のLIFEを生きましょう。
そして何より大切なことは、
人を裁かないということです。
それは、自分が裁かれないためです。
今週も、喜びをいっぱい見つけて歩きます。
「四つのお願い」は、神様から与えられた魔法のことばかも知れません。
これからも講演会で伝えていきます。