念ずれば実を結ぶ
「念ずれば花ひらく」と坂村真民さんは言いました。
全国各地に石碑も立っていますね。
想いは叶う
ドリームカムトゥルー
夢をカタチに・・・
ことばは違っていても、同じことだと思います。
すべて、聖書の中のイエスキリストのこの言葉です。
「求めよ、さらば与えられん」
未常識が常識になるまでには、さまざまな現実的な葛藤もあるでしょう。
夢を口にした途端に、
「そんなのムリ」と潰し屋がやってきます。
どれくらい無理なのか説明しにくる友達もあります。
携帯電話
パソコン
コンビニ
ETC
ペットボトルのお茶
マクドナルド
コカコーラ・・・私が子供のときには、新幹線も高速道路もありませんでした。
それでも、みんな当たり前のように私の日常に溶け込んでいます。
「あったらいいな」、の世界が「なくては困る」になっています。
なにごとも、はじまったばかりのときに、
「いずれこうなりたい」と語ると冗談みたいに聞こえるのです。
未常識のことは、圧倒的に少数だから。
その事業に関わる人の数、費用、期間、
そもそもそんなことがやり通せるのか?
きっと頭のいい人ばかりが集まっていたら、
「できるわけがない」と分析して、
「やめたほうがいい」と結論づけてしまうことでしょう。
でも、糸川先生のように「恐ろしいほどに頭のいい人」や、
「ちょっとアホな人」だとかがいて、
「できるはずやし、やるです」と言えたのでしょう。
一人の天才だけでもできないし、
大勢のちょっとアホでもむつかしいかもしれないけれど、
いろんな例を見ていると、
たったひとつの、「なぜできたか」の理由が見えてくるように思うのです。
「人びとが望んでいたから」
ロケットも、 新幹線も、高速道路も、飛行機も、携帯も、コンビニも、インターネットも、
口に出したか出さなかったかは別として、
「人びとが望んでいた」ということは、いまわかるのです。
人のこころ(望み)が、それをさせたのです。
その、さきがけになるには「恐ろしくアタマがいい」人と「ちょっとアホ」な熱い奴らが、
冒険に出ようと思わなければなりません。
そして、一歩前の道に踏み出さなければなりません。
大勢の人の心が、やがて開き、実を結ぶのです。
未常識が常識になるって、素敵なことです。
人間として生まれた喜びが、そこにあるように思えるから。
その喜びを私に教えてくれた、糸川英夫博士が今日生まれました。
明治45年、100年以上前のこと。
糸川先生、生まれてくださってありがとうございます。
私はいま、生きています。