赤塚高仁ブログ

愛の右翼・赤尾敏

2018.07.17

右翼、街宣車・・・と聞くと、
かなり危ない感じがしてしまいます。

91歳の生涯で3万回以上の辻説法を行った伝説の右翼、
それが赤尾敏という人物です。
私が東京に住んでいたころ、銀座は数寄屋橋交差点でほぼ毎日街宣車の上で叫んでいた人。
ビラがあちこちに貼られていたのを覚えています。

【赤尾敏最後の国会発言】 
ときは昭和20年12月13日、GHQによる日本壊しの真っ最中
、国会議員もGHQにビクビクして縮こまっているときのことです。
労働組合法案委員会で赤尾議員は幣原喜重郎首相に喝を入れました。

『國體とは愛なり、慈悲なり』

「申すまでもなく今日我が國體は重大な危機に瀕して居ると思ふのです「
それに付きまして總理大臣に私の意見を申上げまして、御意見を承りたいと思ふのであります、
國體護持とお役人さん方も言つて居る、一方には共産主義が殖えて行き、
鵺的社會主義がはびこつて居り、色々國民が迷つて居ります、
國體護持と云ふことが空念佛になつて居るのは、國體觀が徹底して居ないからであると思ふのであります、
それで國體主義者は國家主義者だと言はれ、殊に極度に熱心な者程極端な國家主義者だと云ふので誤解を受けて居るのであります、
是は重大なことでありますので、私は申上げずには居られないのであります、
私は國體を斯う考へて居るのです、

國體の精神と云ふことは「イエス」の道、釋迦の心と一つのものである、
皇祖皇宗が親心を御説きになつた御仁愛の精神である、釋迦の教と云ふものは結局慈悲なんだ、
「キリスト」の教は愛と云ふことに盡きる、私は日本の國體精神と云ふものは大御稜威とか、
或は大御心とか色色表現されて居りますが、親の子を愛する至情を以て人類に臨む、
「キリスト」の愛と通ずるものである、同じだ、或はそれ以上のものだ、

其の道を皇祖皇宗が御説きになつた、
釋迦や「キリスト」は一代で死んでしまつて其の血筋が絶えたのでありますが、
日本の其の道を御説きになつた御先祖の御血筋が今日に至るまで尚ほ續いていらつしやる、
隨て 天皇陛下は其の愛の道をば耶蘇の如く或は慈悲の道を釋迦の如く御説き遊ばさるる宗家である、
私は斯う解釋して居るのであります、
國體とは愛なり、慈悲なり、「イエス」に通じ釋迦の道と一つのものである、
故に日本の國體は尊い、其の道は人類に及ぼして悖らざるものだ、
此の道こそ今日世界混亂の時全國民の熱意に依つて發揚しなければいかぬと思ふ、
然るに今日受太刀になつて居つて、國體と云ふことを言ふと國家主義のやうに言はれるので遠慮して居る、
さうして共産主義者や社會主義者のみが日本の民主主義の如く大きな面をしてのさばつて居る、
斯う云うことは恐るべきことだと思ふ、寧ろ今日こそ國體を明徴にし、
國體の道を明かにする爲に、全國民が總立ちにならなければならぬ時だと思ふ、
私は國體の精神を斯樣に考へて居りますが、總理大臣の御所見を伺ひたいのであります」

天皇とキリストを同じだと言ってる人がいたのです。
国会で!
衝撃でしょう!!これは・・・

國を大切に思う心。
それを持てない人は可哀そうな人です。
家族を大切に思わない人は、家庭を大事にしません。
家族を守るために、私たちの先輩たちは250キロの爆弾を抱えて、
時速500キロで敵艦に体当たりして死んでゆきました。
そんな人たちをバカにする人は人間ではありません。

 右翼だといって胡散臭い目で見る人が多くなっていますが、
赤尾敏の国会での発言を読んで、私は鳥肌が立つ思いでした。

なぜだか、赤尾敏の姪であるアカオアルミ会長の赤尾由美ちゃんと仲良しになった私は、
京都での赤尾由美講演会の応援弁士として駆けつけたのでした。

右翼だ左翼だと騒ぐ前に、
本当に大切なことを知るためのアンテナを伸ばそうよ
いま一番大事なことキャッチしようよ

 日本は本当に危ない状況だと思うから
赤尾由美ちゃんは、
「おじさんが、『由美ちゃん、語ってくれ!』と言ってる」と言います。
彼女は国選に出て、赤尾敏のように数寄屋橋で毎日辻説法しました。
そういう男前のところが私は好きなのです。

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