赤塚高仁ブログ

新しい補聴器

2017.01.18

私は耳が聞こえません。

いえ、

聞こえないわけではないのですが、かなりひどい難聴です。

いつから聞こえなくなったのかよくわかりませんが、

とにかく、気づいた時には老人の耳よりも聞こえてないと言われました。

 

27歳、サラリーマンでした。

四国で大手ゼネコンの営業をしていました。

政治家や権力者とややこしい話をする席に上司と同行することもありました。

なぜか大事な話になると、声のトーンが落ち、ひそひそ話のようになるのです。

すると私は

「え、なんですか」と聞き返す。

上司は後で怒って、「耳医者に行って来い!」という。

それで初めて自分の耳が聞こえていないわかったのです。

 

その耳医者はこう言いました。

「なぜこんなになるまで放っておいたの」と

 

この一言はショックでしたね。

私がうつ病になるきっかけの一つになったのかも知れません。

聞こえは比べること出来ないから、

人がどんなふうに聞こえているかなどわかりません。

だから、自分には重篤な問題があるのだと思ってしまいました。

それからずっと聞こえないことに意識が奪われ、本当に聞こえなくなってきて、

聞こえていないはずの耳鳴りが消えなくなって、ついに出社できなくなりました。

 

結局うつ病のまま会社を辞め、三重に帰りました。

その後、津にある小さな耳鼻科にいきました。

そこで検査しても同じ結果でした。

ところが、その医師は

「赤塚さん、ちゃんと聞こえてますね。

話しできますもんね。

よかったですね。

いまはいい補聴器がありますから、大学病院の補聴器外来を紹介しますよ。

ないものを悔むのをやめて、あるものを大事にしていきましょうね」と言いました。

 

手話の学校にも通いましたから、

生まれてからずっと耳の聞こえない人たちとも交わりました。

いい経験させてもらったと思います。

 

事実はひとつでも、人の心次第で伝わり方は変わる。

どんなふうに伝えるか、なにが伝わるか、そんなこと思わされます。

たった一言で、人を殺すこともできる。

 

でも、救う言葉を探したい。

 

後に分かるのですが、

私の耳は、小さい頃に摂取しすぎた抗生物質によって聴神経が死んだ薬害でした。

家に注射器があって、ペニシリンやクロマイといった抗生物質を、

風邪をひいたといえば打ち、

お腹が痛いといえば打ち、

思えば、親戚の病院から横流ししてたんでしょうか。

 

それがわかったときは、母をうらみました。

私の耳を返してくれ、と。

 

でも、いまは違います。

これは母の愛情の証しです。

どれほど心配してくれたのかを思う時に、ありがとうという気持ちが湧かされるのです。

 

年末に注文した新しい補聴器ができあがりました。

デンマーク製の新製品、これまでのものよりずっと小さくなり、

補聴器が自分で考えてまわりの音の中で必要なものを選んでくれます。

一秒間に数万回も思考するのです。

AIというものでしょうか。

 

すごいです、どこで音がしているのかわかるのです。

後ろの方で鳴っているのがわかるのです。

これまでのものは、目の前の人との会話は得意でも、音を全部拾って大きくするので辛いこともありましたから。

新しい世界が広がったような気がします。

 

人は、欠けているから成長できるのですね。

改めて、母に感謝します。

 

 

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