旅の友は人生の宝
來夢先生が
年明けに和歌山の「ゆの里・このの」に来られるというので、走りました高野山のふもとまで。
ホーリー
ザッキー
なつかしいイスラエルツアーの友の顔も・・・
ゆの里に初めて来させていただいたのは、
10年ほど前だったでしょうか、
東京の友人が誘ってくれたのがきっかけでした。
そのとき一泊して、
おいしい朝食をいただいていたとき、
友人が
「となりにいるの本田健さんだよ」と教えてくれました。
当時顔出しNGだった健さんですから、
名前は知っているけど顔は知らず、
でも、声をかけるのもはばかられ、チラ見したことを覚えています。
やがて、テンプルビューティフル光田なおこ社長の会や、
へそ道のふーちゃんこと入江ふみ子さんのセミナーでしばしば訪ねることになるのです。
さて、
何度もお目にかかっていた、ゆの里、重岡昌吾社長
去年の正月に伊勢神宮でばったり出会いました。
「おめでとうございます!」と握手をして別れたそのあと
私が椿大社で建国記念日の講演をさせていただいたのですが、
サイン会を終えて会館の外に出ると、重岡社長とばったり!!
このシンクロはなんのサインだろう・・・
おととしのイスラエルツアーで、
一緒に旅した本田健さんと仲良しになりました。
健さんもユダヤ人の本を書いて大ベストセラー作家となったのですが、
それまでイスラエルに行ったことがなかったという驚くべき事実。
それは
さておき、
イスラエルの旅のお礼にと、
紹介でも4年待ちという來夢先生の個人セッションを、
健さんの契約している枠で私にプレゼントしてくださったのです。
そして、來夢先生にお出会いいただきました。
私の生まれた時間、生まれた場所のホロスコープを見ながら、
初対面の來夢先生は、
「赤塚さん、30年前に人生が根っこから変わる
大きな出会いか、出来事あったでしょ」
30年に一度巡る土星が私に回ってきていて、
それは大変革を意味するとともに、
人生の大いなるアセンションのポイントでもあるということです。
30年前、私は糸川英夫博士に出会い、
初めてイスラエルに行きました。
そして、人生が変わりました。
「赤塚さん、イスラエルがあなたの人生を変えたけど、
これからの30年はイスラエルとつながって人生を完成させるんだよ」
來夢先生のこの個人セッションで大きく背中を押されたように思えます。
しかも、
初めて会った人なのに、初めてと思えない・・・
糸川先生の愛したパートナー、アンさんとそっくりで、
話しながら、
アンさんが目の前に現れた気がしてウルウルしてしまいました。
話し方も
話し声も
髪型も
タバコの吸い方も・・・
ああ、
また糸川先生が働いてくださっているのだなぁと思いました。
今度はアンさんも一緒に。
「來夢先生、建設会社をやめて講演と執筆で生きます」
そういう私に、
「そうね、今がそのときね。
でも、会社はやめなくていいよ。
むしろ、会社は奥さんに任せて残したほうがいい。
それから、宣言するのは年が変わって立春を越えてからね」
いま、私は「人生が変わる聖書漫談師」として前人未到の世界を創造していますが、
見えない世界からの支援を魂に感じています。
漫談師としての最初のツアーは是非、來夢先生と!と願い
そのツアーには神田昌典さんも望月俊孝さんも参加してくださいました。
來夢先生とゆの里、重岡社長とは古くからの仲良しだったから、
重岡社長も去年の秋のイスラエルツアーに来てくださいました。
そこで、
私の人生観が変わるほどの水から感じた情報を伝えてくださったのです。
ヨルダン川、
イエスキリストが洗礼を受けた水の記憶です。
(このことは改めて書きましょう)
イスラエルの旅が私の人生を変え、新たな縁を作ってくれていることに感謝します。
わが師、糸川英夫博士はイスラエルツアーの始まりのあいさつで必ずこう話されました。
「旅の目的はひとつでいい。
この旅を終わるとき、
生涯仲良くできる友ができたら、
この旅は成功です」
旅はどこへ行くかも大事ですが、
誰と行くかはもっと大切なことです。
私はあと何回、ツアーにみなさんをお連れできるのでしょう。
もしかしたら、
年に3回やれるとしてあと20年。
10年かもしれない。
そうなると、
残っているチケットは・・・
誰と一緒に行くのか、
どこに行くかより大切なことです。
聖書の、現場イスラエルで
自分の足の裏で聖書を読みましょう。
それも私の
やまとこころのキャンドルサービス。
2月25日~3月4日
令和二年最初のイスラエルツアー
キャンセルが出て、残り2席
えにしを感じてくださったら、ここから←クリックご連絡ください。
今月いっぱいで席をトルコ航空に返します。
人生が変わる聖書漫談師 赤塚高仁