日本一の講演家
中村文昭50歳
20年間 年間300回の講演をする。
作務衣を着て、椅子に座って
映像も板書もなく、
ただ、
マイクだけを手に語り始めると、
どんな会場も文昭ワールドに変ってゆく・・・
ずいぶん昔のことです、
「お金でなく人のご縁ででっかく生きよう」
という、中村文昭さんの本を読みました。
どこからかまわってきた、
中村文昭さんの講演テープを聞きました。
抱腹絶倒というのはこのことか!
と、
大笑いしながら、
その奥にある人に対する優しさや愛情を感じて、
胸が熱くなりました。
それは、
生きていることのなつかしさを感じる、
いのちの熱さでした。
学校を5回も停学になり、
やんちゃだった文昭さんですが、
お母さんは文昭さんをただ一方的に無条件で愛し、
信じ、受け止めていました。
行き場のない文昭さんのエネルギーは、
東京で人生の師匠に出会うことによって、
ベクトルが定まりました。
「何のために」
この問いかけこそ、
私たち一人ひとりに投げかけられている、
神さまからの魔法の質問でしょうか。
「何のためにうまれて、
何をして喜ぶ
わからないまま終わる
そんなのはいやだ」
やなせたかしさんは、アンパンマンを通してこの問いかけを投げかけています。
稀代のストーリーテラーである中村文昭さんの話をうなづきながら聞く2時間半。
改めて
「何のために」と、自分自身に問いかけるひと時でもありました。
私は、子供の頃から親の言うことを聞かなければならない、
心の中に違和感があっても、
親の悲しむ顔を見るのが嫌だから、
たとえなりたくない自分でも、
両親に従ってゆく方がよいと考えてきました。
良い学校にいき、
良い会社に入り、
結婚して子どもができて、
普通に生きることが正しいと信じていました。
しかし、
私は、
生まれる時に神さまと約束してきたことをすっかり忘れていました。
それは
「使命」です。
命を何のために使うのか。
自分の幸せのために使っているうちに、
私は心を病み、
自殺未遂を図り精神病院に1カ月入院しました。
28歳で、人生の師匠、糸川英夫博士に出逢って、
ようやく目覚めたのでした。
「前例がないからやってみる。
誰とも違う宇宙で唯一のユニークな存在
赤塚高仁を生きる」
夢を持たなければ、
目標を定めなければ、
と、無理な緊張を自分に強いてきたけれど、
起きることを喜んで、
ひらりと軽く生きよう。
一瞬の強さのために、いつもひらりと軽くいよう。
文昭さんの言葉では
「頼まれごとは試されごと」と言います。
きっと同じような心のあり方なのだろうなと感じています。
そう選択を変えると、人生が変わりました。
「事実はひとつ、
見方はふたつ」と文昭さんの言語は表現します。
夢にも見なかったことや、
とても目標に描くこともできなかったミラクルが起きます。
そうです、
中村文昭講演会の第二部で、
赤塚高仁が2時間話すというコラボレーションが実現したのです。
文昭さんの磁場が残る舞台に立つと、
さすがに怯む気持ちも湧き上がってきます。
でも、
もっと大きな喜びが全身を包み、
全身全霊で話をさせていただきました。
会場のみなさんもきっと喜んでくれたと思います。
私の右後ろには中山靖雄先生がニコニコ顔で来てくださいました。
糸川先生も来てくださいました。
日本一の講演家と日本一の聖書漫談家
ともに、
これからも、やまとこころのキャンドルサービスを命ある限り走り続けてゆきます。
文昭さんありがとう! 嬉しくて、楽しくて、幸せでした。