時を超える本当のことを
サンタがプレゼントをもってやってくる、
不思議な儀式がやがてやってきます。
小学生の頃、
父親がプレゼントを枕元に置いていったのを、
寝たフリして見てて、
朝になって
「わぁ!」
と、わざとらしく驚くイヤな子どもでした。
私。
それでも、
本当に嬉しかったです。
欲しいものがいっぱいありました。
昭和34年生まれの私は、
ちょうどもののないときから、
ものが溢れるまでの
だいたいみんなを見てたような気がします。
まず、生まれ育った家には電話もテレビもありませんでした。
電話は、近所のおばさんちに借りに行きました。
テレビもそこでみせてもらってました。
そのうち家の前の駄菓子屋に、公衆電話がついたので、10円持ってかけにいきましたね。
テレビが来たのは、ワシが幼稚園の時でした。
NHKのちろりんむらとクルミの木、ひょっこりひょうたんじま・・・鉄腕アトムが始まったのもその頃ですね。
風呂もマキで沸かす、五右衛門風呂。
風呂を沸かす時間もない時は、銭湯にいきました。
自動車を持ってる家なんて、町内にほとんどありませんでしたから、
うちには、ラビットのスクーターとリヤカーがありました。
そのうちに、ダットサンのトラックがやってきたけど、
500メートル先の海に行く途中、3度もエンストしたのが蘇ります。
そのたび、車の前からクランクシャフトを差し込んでまわし、エンジンをかけるのです。
どの家にも、庭には井戸があって、水を汲むのは子供のしごと。
なんだかんだと、よくお手伝いしたものです。
チラシは、よく空からセスナ機がばらまいてました。
空を見上げながら走り回るのですから、今なら危なくてしょうがないですね。
よく溝にも落ちたものです。
そのドブに、ドジョウやふなやメダカが泳いでいました。
チンドン屋が身体に宣伝くくりつけて、音楽演奏しながら、踊るように町内を歩きまわっていると、
ちんどんやさんについてどこまでも歩いて行くうちに、知らないとこまで来てしまい、とぼとぼ帰りました。
ちんどんやに憧れた幼少期でした。
コンピューターも初めて出た時から、
ずっと見てきました。
ポケットベルが驚くべき情報機器でしたね。
携帯電話だって、肩から提げて、
あっという間に電池は終わってしまうし重いし・・・
そのうち弁当箱みたいな携帯電話ができたと思ったら、いつの間にかいまやスマートフォンを誰もが持っています。
どんなに時代が変わって、モノが変わっても、
だけど
決して変わらないものがあるのでしょう。
その
「本当のこと」を見つける旅を、人生と呼ぶのかも知れません。
チンドン屋のように、セスナがばらまくビラのように、
縁ある方に、想いよ届けと祈りながら、今日もこうしてブログを書きます。