未常識を常識に、「前例がないからやってみよう!」
7月になると思い出します。
29歳の夏、糸川英夫博士と出逢わせていただきました。
もう30年も前のことになるのですね。
その出逢いが、人生を根っこから変えることになるとは、初めて糸川先生のお宅を訪ねたときには、
思いもしなかったけれど・・・
28歳の7月、
うつ病から自殺を図り、3日後に三重大学病院で意識を取り戻しました。
28歳の8月は精神病棟で過ごしました。
窓には鉄格子がつけられており、小さな四角く切り取られた空の青さが哀しかったです。
もうこのまま人生が終わってしまうのかも知れないと、
病院で絶望的な日々を送っていました。
良い学校に入って、良い会社に就職すると、人は幸せになれる・・・
両親からも、学校の先生からもそう教えられてきたけれど、
どうもそうではないらしいと気づいた頃から、
何のために生きているのかわからない、希望のない人間になってしまいました。
うつ病になった原因は、いまではよくわかりませんが、
希望のない苦しい世界であることは、間違いありませんね。
鬱病というのは生きるエネルギーが枯れてしまっている状況で、
本人もまわりも苦しいです。
糸川博士に出逢えたのは、精神病棟からちょうど一年経ったとき。
「一度終わった人生やから、ダメでもともと。
心の中にふっと思ったことをやろう。
一番に思ったことをやろう」
そう決めました。
それまでは、2番目以下の選択をしてきたことに気がつかされたからです。
あの人に会いたい・・・これが、一番だとしても
「どうせ、会ってくれないだろう」
「自分なんて会う資格ない」
「時間がもったいない」
「きっと会っても大したことないわ」・・・などなど、次々湧いてくる2番目以降の声に聞いていたのです。
それは、体裁や見栄や、自分が傷つきたくないというささやかなプライドから来るものだったようです。
そんなくだらないプライドなんて捨てて、
会いたいものは会いたい、欲しいものは欲しいと言うことにしようと決めました。
自動的に湧いてくる2番目以降の選択肢は消去、現状無視、即実行。
とにかく「動く」
だから、糸川英夫博士の家にいきました。
会うか会わないか、話してくれるかどうかは相手が決めること。
そんな風に思って、紹介してくれた友達にくっついて東京の世田谷に向かって行ったのでした。
隼戦闘機の設計者、ロケット博士、逆転の発想の著者・・・そんな肩書をすべて飛び越え、魅力のカタマリのような人でした。
この人の弟子になろう、そう勝手に決めました。
弟子は師匠を選べるが、師匠は弟子を選べない、と自分に言い聞かせ、東京に通うようになりました。
聖書に学ぶ人類の智慧、ユダヤ人のこと、イスラエルのこと、糸川英夫博士が私に教えてくれたものです。
そして、そんな知識だけでなく、
生き様を見せてくれました。
未常識を常識に
前例がないからやってみよう
私の机の横には、糸川先生の写真と、先生が書かれた言葉が掲げてあります。
「その気になれば、人生いつのときもチャンスである」
良き出逢いこそ、何にも勝る人生の宝ですね。
心中に浮かんだ直感に従って動ける自分、そんな素直さを生涯持ち続けたいものです。
出逢いはツキですが、
ツキを運命にかえるのは、素直な行動だけだと、改めて噛みしめます。
生きててよかったです。