本当の自分を生きる
マンダラ手帳の開発者である、松村寧雄先生と出会ったのは30年前のことでした。
大阪のセミナーでした。
以来、毎月大阪に通うようになりました。
当時、私は29歳
松村先生は48歳だったわけです。
いつの間にか、当時の松村先生の歳を10も上回っています。
でも、いつまでたっても出逢ったときの先生は大きな存在で、
追い越すことのできない光です。
マイナス思考で悩みまくっていたときでした。
いろんな人と出会い、いろんな人の話を聞き、
そのたびに揺れ動く、そんな29歳の私でした。
当時、幸福の科学という新興宗教が勃興して、大川隆法さんの話も聞きました。
ヨガの達人という触れ込みで、麻原ショウコウ氏の話も聞きました。
思わず入会しそうになりましたが、思いとどまってよかったです。
苦しみから解放されたい、と真剣に求めていましたから、
あらゆる宗教に救いを求め、出かけてゆきました。
どの宗教の人も熱心に丁寧に教えてくれました。
お参りにもいきました。
でも、少しも心が晴れません。
松村寧雄先生の「MY法」は、
仏教から宗教を取ると残る「智慧」を経営に活かすというシステムです。
松村先生は言いました、
「苦しいのは当然ですよ。
この世は、苦であると仏陀が見抜きました。
歳をとって、病気になって、死んでゆく・・・そんな世の中に生まれてきたのも苦しみ。
会いたい人に会えないのも苦しみ
会いたくない人に会っているのも苦しみ、
欲しいものが手に入らないのも苦しみ、
そして、本能が盛んで思い通りにならないのも苦しみ
この四苦八苦から具体的な実践活動で開放する智慧の体系が仏教システムにあるのです」
私は、悟りたいと思っていました。
悟ったら、平安な心になり、
安心して暮らせ、苦しみから解放されると思いましたから。
でも、
松村先生から学ぶうちに、
「悟るとは、自分のことを言わなくなること」だと気づかされました。
四苦八苦から解放されている瞬間は、
「自分が勘定に入っていない時、つまり、人のために生きているとき」であることもわかりました。
苦しみの原因は「私」です。
実体のない「私という錯覚」が苦しみを生みます。
苦しみというものも、「私が感じている」ことであり、存在していない幻想です。
しかし、
私について考える時、苦しみは湧きあがってきます。
そこから解放されたいという願いも、「私について」のことです。
仏陀は8つの正しい実践活動を行っている時、苦しみから解放されると発見しました。
すべては関わり方で出現しますから。
その、関わり方のことを「縁」と呼びます。
松村先生は、30年間のお付き合いの中で、
愚痴、泣き言、不平不満、文句、悪口を言ったことがありません。
まさに目覚めた人でした。
顎にガンが出来、それを摘出するために顎も歯もとって、
しゃべりにくい状況にあっても、セミナーで教えておられました。
もう助からないと医者に見放されても、会いに行った私のために、
わざわざ背広を着て出て来てくださり、
「いや~赤塚さんと会うと、元気になれるからいいですね~」と声をふりしぼって会話してくださいました。
それから数日後亡くなるわけですが、
悟るということを真に教えてくださった師匠でした。
悟ると、自分のことを言わなくなるということです。
悟ると、ネガティブな言葉がでなくなるということです。
悟った人は、特別な宗教のように教祖になるのではなく、当たり前のように現場にいるということです。
そして、普通の人たちに混じってこの世を生きている。
ただ、ひとつ違う点は、
悟った人は、朱に交わっても赤くならないのです。
本当の自分を生きるということは、素敵なことですね。
私たちは、自分を生きるために生まれてきました。
目覚めることのない朝が必ずやってきます。
毎晩眠ることができるのは、明日の朝目が覚めると信じているからです。
でも、
目覚めることのない朝が必ずやってきます。
思いのほか人生は短い。
今日一日、利他の心で自分を忘れて誰かのために命を燃やして参りましょう。
本当の自分を生きるとは、
命を誰かのために使うことでもあると思えます。
今朝も目が覚めてよかった。
神様 ありがとうございます。