東洋軒
津にある老舗洋食レストラン「東洋軒」は、今年で90年。
昭和3年に津で店を構えたということは、私の亡き父と同じ歳。
父も生きていれば90歳ということなのですね。
もともと東京東洋軒として1889年(明治22年)に創業し、
8年後に伊藤博文や当時の閣僚の薦めで西洋料理に特化します。
その店の3代目の料理長、秋山徳蔵氏は、
佐藤健演じた「天皇の料理番」です。
秋山氏ら歴代料理長の高い技術が評価され、宮内庁御用達としても地位を確立します。
昭和3年に本店を三重県津市に移転させたのが、105銀行頭取の川喜多半泥子。
東の北大路魯山人、
西の川喜多半泥子と呼ばれるほどの趣味人であり陶芸の達人であり、美食家でした。
半泥子の遊び心で、東洋軒の料理長猪俣重勝に
「黒いカレーはできんか?」というと、
それに応える料理人。
猪俣重勝は、松坂牛の背脂と小麦粉を炒め、煮込み続けること1カ月。
ついに黒さを表現するのです。
そこに秘伝のスパイスを加えて作り上げられたのが、
東洋軒名物「ブラックカレー」なのです。
私は、3代目社長、猪俣憲一氏と縁あって、とても親しくさせていただいています。
ご自宅も建てさせていただきました。
住宅の資材を買い付けにアメリカにも行きました。
イスラエルにも2度ご一緒しています。
奇跡のあんでるせんツアーにもご夫婦で参加してもらいました。
私よりずいぶん年下の憲一さんですが、
私は心から尊敬する偉大な人格の方です。
日本を代表する洋食店を世界に広めるためにやって来られたサムライでしょうか。
さて、
憲一さんのお父さん、
2代目猪俣重信氏は、料理を愛し、社員を愛し、東洋軒を命がけで守ってこられました。
生涯現役で、と顔晴ってこられた重信さん、
いつものようにブラックカレーを仕込み、料理をつくり、社員のまかない料理をつくって、
家に帰って、いつもの場所に座って亡くなりました。
7月13日のことでした。
16日通夜、昨日17日告別式と出席させていただきました。
溢れんばかりの弔問客、式場を埋め尽くす生花。
東洋軒2代目猪俣重信さんの生き方が式の温かな空間を作り上げていました。
優しい葬儀のひとときでした。
最後の最後まで料理をつくり、
そのまま天に召されてゆくという、真に天晴な死に方といえましょう。
80歳でした。
喪主、憲一さんの父への愛、先代に対する尊敬がこもった挨拶に胸が熱くなりました。
そして、
33年間東洋軒のコックとして2代目を支えてこられた松岡さんの贈る言葉、
涙がこらえられませんでした。
従業員一同、棺桶に向かい最敬礼をして
「ありがとうございました!」という美しい挨拶。
まさに、日本の洋食レストランの最高峰としての東洋軒の神髄を見たような気がしました。
2代目、重信さん
喜んで旅立たれたことでしょう。
天国で昭和天皇にブラックカレーつくって差し上げているかも。
天皇陛下の現地御視察の際にも奉仕し、日本における西洋料理のパイオニアであり最高峰として、
その確かな腕と熱い精神を今に受け継いでいる東洋軒。
是非、津に来て味わってください。
津の住人で、東洋軒に行ったことのない人は、
いないのではないでしょうか。
服装を着替えて出かけるお店です。
名物ブラックカレー、
レトルトの宅配もありますが、
やっぱり超美人ぞろいのウエイトレスさんたちのサービスで食べると、
まったく味も違うんです。