法事
叔父の7回忌にいってきました。
法事です。
私の父は、9人兄弟
母は、10人兄弟
親戚の集まりになると、よく似た顔がずらりと並びます。
58歳になった私も、親戚の集まりになると・・・
「こうじくん、立派になって・・ ますますお父さんそっくりやね・・」と
一瞬で昔に戻されます。
ひと頃はそれがイヤで、法事は母にまかせっきりでした。
それが、どんな風の吹きまわしでしょうか、「僕が出るよ」と行ってきました。
いつの間に年老いたのか、伯父も伯母もみんな70、80の老人になっています。
元気だった叔父が、しわくちゃじいさんになっています。
私は、父の兄弟の中で初めての男子だったこともあり、特別に可愛がられ、
いまでも
「こうじくん、偉いなあ、あんたの新聞記事見とるよ、読んでもよおわからんけど」
と、叔母たち。
延々と続くお坊さんのお経に、ふといねむりしていたら、
となりの叔父は、熟睡してます。
きっと極楽浄土の夢を見ていたことでしょう。
親鸞聖人のことを話し始めた和尚さんは、熱が入り、また話が終わりません。
7回忌を迎えた伯父さんには、私たちの仲人もしてもらいました。
結婚式から34年経ちました。
お経の間、和尚の説教の間、ずっと亡くなった伯父と叔母のことを思い出していました。
思い浮かぶ姿は、あのときのまま。
子供の頃、退屈極まりなかった「法事」ですが、
不思議なことにいいものだなぁと思えました。
この世とあの世の境を超えて、霊体になった故人との対話の時間です。
心いっぱい感謝が湧いてなりませんでした。
祖父母も叔父叔母も、ひとり、またひとりとあの世に帰ってゆきました。
私の父も、義父もこの世にはいません。
法事で一緒に食事をした父の兄弟も、ときが来たらこの世から旅立ってゆきます。
この次の集まりは、誰かの葬儀かも知れません。
死がとても身近に感じられます。
そしてそれは、忌むべきことではなく、聖なる約束。
私たち、この世に生かされる者がすべきことは「想い出す」ことでしょうか。
心の中に故人を生かし、ともにこの世で生きるとき、見えない世界からの守護も働くようです。
父の妹たちは、父のことが大好きだったようで
「あんた見とると、次良(じろう)さんがここにおるみたい。
涙出てくるわ」
と、泣きます。
私、困りますけど、私の右肩の後ろの方で父が喜んでいる気がします。
私が動くとき、父も動くのですね。
「法事」・・・ とても退屈な時間に思っていた儀式でしたが、不思議なことに喜びが湧きました。
ずっと昔から伝えられて来た先人の智慧には、深い意味があるのでしょう。
人生はまだまだこれから学ぶべきことがたくさんあります。
自覚はありませんでしたが、もう少しすると私も還暦を迎える歳になります。
老いて死ぬという当たり前の道を楽しめるよう、今日一日精一杯喜んで生かされて参ります。
今週もどんなことも、喜んで受けとめましょうね。