赤塚高仁ブログ

熱海舩井幸雄記念館で講演です

2018.12.21

 今年一年、舩井勝仁さんと過ごした時間を数えてみたら、大変な数字になりそうです。
5月のイスラエルも、6月のイスラエルもずっと一緒だったし、ペリリュー島にも高知にも、東京聖書塾も、ここそこで一緒でした。
縁というものは、理屈を超えているものだなぁとしみじみ思う歳の暮れです。
おそらく、
この意見には、理屈王の勝仁さんも同意せざるを得ないでしょう。

 20年以上前に出会った勝仁さん。
いろんな場所ですれ違うのですが、ご縁が深まることはありませんでした。
それでも、
かっこちゃんの会や、
島村不二夫さんに連れて行ってもらった生体エネルギーの会や、
秋山木工さんの修了式でお会いするたび挨拶をしては、
「え?ここでもつながってるの?」と思ったものです。

多分、
私が男前でかっこよくてナウかったから、
勝仁さんは声がかけにくかったのでしょうね。

 ある建築のグループに加入したとき、そこにも勝仁さんがいました。
生体エネルギーを活用し、身体に悪いものは一切使用しないという志高き仲間の集いでした。
体育会系のリーダーの元、全国から工務店社長がやってきました。
非常に厳しい指導でした。
私は奴隷のような待遇でしたが、
勝仁さんは顧問で偉い人でした。

いっさい建築以外の活動は禁止され、
私は、伊勢神宮に行くことも止められて
神話を体感する会の主催も降りたほどです。
でも、
会社の売り上げは3倍になり、仕事はたくさん受注するようになりました。
健康住宅に関する知識も増え、建築会社の社長としては忙しかったです。

そのリーダーが、「にんげんクラブ」にコラムを書いていたのですが、
後を引き継いで書くように命じられて、連載を始めたのが
「ヤマト人への手紙」でした。
リーダーからは、建築と仲間のことを書けと命じられましたが、建築のことは一行も書いていません。
やはり建築のことを書くよりも、やまとこころのキャンドルサービスがしたかったのです。

12回の連載を終えた頃、建築のグループを脱退し、
私は、「やまとこころのキャンドルサービス」を再開し、
イスラエルツアーも再開したのです。
そのツアーに勝仁さんが参加してくれました。
きっと、あの建築グループでの時間を共有していなかったら、
私も誘わなかったし、
勝仁さんも来なかったでしょう。
ただ、
そのとき問題がありました。
舩井幸雄先生の容体が芳しくなく、
万が一の時はキャンセルするという条件付きでした。

 旅の前に舩井幸雄先生は天に帰ってゆかれました。
キャンセルする理由にはなりそうでしたが、
勝仁さんは
「いきます」と、決断してくれました。

旅先での勝仁さんの人柄に、私は惚れました。
ちょっと理屈臭いけど、本当に人の良いところをすくいあげる天才だと思いました。
10日も一緒にいれば、人となりはわかりますものね。
問題解決能力においては、勝仁さんの右に出る人を知りません。

 その旅があって、「聖なる約束」という共著が生まれました。
そして、「聖なる約束2・ヤマト人への手紙」が世に送り出されたのでした。
思いもよらない流れですか、これが聖なる約束なのですね。

 かつて、
イスラエルの旅の始まりにいつも糸川先生が言っていたのは、
「旅の目的は一つでいい。
  この旅を通して、生涯仲良くできる友だちが一人でもできたら、
 旅は成功です」ということです。

 糸川先生に報告しました。
イスラエルの旅で舩井勝仁という親友ができました、と。

糸川先生、
イスラエルに僕を連れて行って下さってありがとうございます。
これからもイスラエルに多くの人をお連れして、たくさんの友だちができるようにお手伝いします。
それが、どんな時代も人生の最高の宝ですから。

 さあ、今日は勝仁さんのホームグラウンド、
熱海の舩井幸雄先生のお宅を訪ねます。
そして、隣接しているセミナーハウスで講演させていただきます。
50名ほどでいっぱいになる会場に今日は90名が入られるそうです。

 きっと舩井先生も糸川先生もやってきてくださることでしょう。
もちろん勝仁さんも一緒です。

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